ボクサーの夢支え一時代築く 金城氏主宰のジム閉鎖


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歴代チャンピオンの写真が掛かるジムで思い出を振り返る金城眞吉監督=12日、那覇市首里石嶺町のウィンナージム(諸見里真利撮影)

 沖縄尚学高ボクシング部の金城眞吉監督が主宰する那覇市首里の「ウィンナージム」が、本年度いっぱいで約30年の歴史に幕を閉じる。ジムからは数多くの名ボクサーが巣立ち、沖縄ボクシング界の一時代を築いた。金城監督は汗と涙の染み込んだリングで「子どもたちとの出会いや、いろんな人の支えに感謝の気持ちしかない」とこれまでの歩みを振り返った。

 自身も南部農林高や日大で選手として活躍した。1969年から29年間は興南高で、その後は沖尚高で監督を務め、選抜大会や総体、国体で幾多の全国王者を輩出した。具志堅用高氏や平仲信明氏ら、金城監督に基礎をたたき込まれ、国内外で輝かしいタイトルを手にしたプロ選手も多い。
 ジムは私財を投じ、自宅を改装して開いたもの。3年前に亡くなった妻清子さんと二人三脚で選手の夢を支え、指導を仰いでやってくる県外チームの合宿も受け入れてきた。
 沖尚高ボクシング部が本年度で廃部することになり、同部の練習場だったジムの閉鎖も決めた。まもなく70歳という年齢も理由の一つという。
 厳しい指導でも知られる金城監督。原点には、復帰前の大学時代、本土との格差を感じる中で培ったハングリー精神がある。ジムの名は英語の「WINNER(勝利者)」から取り、壁には「人に勝つ前に自分に勝て」「練習に泣いて試合で笑え」の言葉が並ぶ。情にも厚く、「いい成績を挙げることが全てじゃない。社会人や親になったとき『ボクシングをやってよかった』と思ってもらえれば僕はうれしい」と語る。
 「大げさにいえば自分の体の一部みたいなもの」というジムを閉じる寂しさはあるというが、ボクシングから遠ざかるわけではない。2011年から務める東洋大監督や、県連盟の役職などもある。「ボクシングに対する情熱、好きな気持ちは変わらない」。名伯楽、闘将、知将―。さまざまな称号で呼ばれる68歳の瞳はまっすぐだ。

英文へ→Legendary Okinawan boxing trainer closes gym