棚原野戦病院壕 落盤続き保存急務「町支援を」


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棚原野戦病院壕について語った根川朝敏さん(左)と保存・整備を望む高江洲善清さん(中央)、玉那覇三郎さん=11日、西原町翁長の棚原野戦病院壕前

 【西原】西原町の戦跡「棚原(たなばる)野戦病院壕」に2013年6月現在、落盤が目立ち、保存作業が急務となっている。町教育委員会や民間の遺骨収集ボランティアらが壕内部の調査を行っているが、保存・整備の具体的な予定はない。関係者らは「一日も早く行政に動いてほしい」と願う。

 町の資料によると同壕は1945年2月、西原に配備された日本軍62師団独立歩兵第11大隊のため、現在の町翁長に開設。西原に住む女性ら15人が補助看護師として配置されたのち、5月に日本軍の解散命令が下された。同壕の前に畑を持つ根川朝敏さん(80)は「指の骨ぐらいは、今でも耕せば出てくる。当時ここに穴を掘り、壕で亡くなった多くの人を埋めたんだ」と語る。
 遺骨収集ボランティアの高江洲善清さん(61)の調査では、3カ所の入り口から平行に走る20メートルほどの通路を、60メートル余の坑道がつなぐ、E字型に近い構造だ。高江洲さんによると、今でも中に入れば戦争当時の物品が見つかるという。内部は至る所で落盤が起き、調査には危険が伴う。
 町は同壕の保存について「今のところ具体的な計画はないが、本町は平和行政に力を入れており、将来的な検討課題だ」とする。
 高江洲さんは「フルネームの物品があれば、遺族に返せることがある」と説明し「行政が動かないと、壕は保存のしようがない」と訴える。
 町内で歴史ガイドを行う玉那覇三郎さん(71)も「一日も早く整備してほしい」と願っている。

英文へ→Town needs to work to preserve Tanabaru Field Hospital Shelter