若者が街から消え、希望見えない 「福島の苦悩」学ぶ


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訪れた市民に福島県の現状を報告する被災者ら=7月27日、宮古島市平良西里の宮古バプテスト教会

 【宮古島】福島県から保養のため宮古島市を訪れた被災者から被災地の現状を聞こうと「福島の今」と題した座談会が7月27日、宮古島市の宮古バプテスト教会で行われた。

多くの市民が参加。被災者らは震災後の生活を振り返り「原発に近い所を中心に若者が街から消えた。先行きに希望が見いだせない」と苦しい胸の内を明かした。
 関健至さん(35)は、震災から2年以上たった福島での生活について「ガラスバッジ(個人で身に着ける線量計)や街中のモニタリングポストなど、あちこちに放射線量を示すものが置かれており、それが生活の一部になっている。子どもに土遊びも自由にさせられない」と話す。「宮古島では放射線を気にせず家族全員で海に入って気を休められた。とても感謝している」と笑顔を見せた。
 佐々木るりさん(40)は「伸び伸び生活できる環境を失うまで、原発の恐ろしさを意識していなかった」と涙ながらに振り返った。「原発事故後、中絶や自殺が増えた。原発事故で失われた命がたくさんある。原発をなくし、自然エネルギーに換えることが福島の復興につながる」と期待を込めた。
 また「成長して他県に出た時に、福島出身だからと差別されないか」と懸念の声も上がった。
 佐渡山政子さん(62)は「ニュースを通し福島が大変だと分かっていたが、じかに聞くのは重さが違った。子育て中の親の苦悩は、涙なしには聞けなかった。保養を今回限りにせず、次につなげる取り組みがしたい」と語った。
 福島の家族は宮古島市内の市民団体・うむい宮古島保養プロジェクト満月実行委員会(下地昌伸委員長)が招いた。24日から29日まで、海水浴やホームステイを通し宮古島の夏を楽しんだ。