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<メディア時評・後世に伝える>戦争、震災継承の意味 理解に向けた世論形成を


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 今年もまた8月ジャーナリズムの季節がやってきた。多くのメディアが「戦争」を語り継ぐために、特別な紙誌面や番組を作ることになる。その多くは、敗戦であったり、原爆投下といった「あの日」を思い起こす、いわゆる節目報道だ。これらによって戦争の風化を防ぎ、将来への教訓を得ようとしているといえるだろう。

あるいは、犠牲者を悼むとともに、命の大切さを伝える機会ともいえる。もちろん同様に伝える機能を持つものとして、書籍や各種アーカイブが存在するし、記念館や博物館も重要な意味を持っている。ひめゆり平和祈念資料館や沖縄県平和祈念資料館がそれに当たるし、佐喜眞美術館もその一つに数えることができるだろう。あるいは、県公文書館や運動としては先日一つの区切りを迎えた沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会も、過去を知るための貴重な社会的資源である。
 しかし、こうした施設や資料と同時に、もう一つ平和を学ぶための重要なきっかけを与えてくれているのが、語り部と呼ばれる実体験者の経験談や、ガマに代表される遺構であることは間違いない。文字や映像ではどうしても私たちの想像力には限界があるし、その衝撃度は実際のものに勝るものはないからだ。その最たるは、まさに基地問題そのものであって、沖縄と本土の意識の決定的落差は、まさにその現実的体験を共有できていないことに尽きるともいえよう。ヘリ墜落事故やオスプレイ配備を、わがこととして捉え切れないのは、残念ながらまさに基地との距離感であると思わざるを得ない現実がある。

■震災遺構の是非
 内と外の認識の差はいま、東日本大震災の被災地でも起きている。地震や津波の被害を受けた建造物などの「震災遺構」を、残すかどうかの議論もその一つである。当初はそのいくつかが、まさに「手付かず」で存置されていたが、この1年で土地の整備が進む段階に入り、一気に取り壊しが進んでいる。宮城県内でいえば雄勝地区の小学校や港湾施設しかり、岩手県内では陸前高田市の体育館などがそれに当たる。ちょうど今週5日には、気仙沼市鹿折地区で陸に打ち上げられた大型漁船(第18共徳丸)の解体も決まったばかりだ。
 地元住民からすると、それらの遺構を見るたびにつらい思いがよみがえるので耐えられないという感情が当然にあるわけで、こうした地元の意見や気持ちを最優先に考える必要があることはいうまでもなかろう。また行政側にしても、土地を区画整理し新たな町作りをする上で障壁になる場合も少なくない。気仙沼の場合、市は当時市内に居住していた16歳以上の全市民アンケートを実施、その中で保存の賛否を尋ねていた。その結果、7割近くは必要ないとした結果を受け、船主の意向通り解体作業が進むことになっている(保存が望ましいが16%、代替物で保存が15%)。
 県境を挟んだ陸前高田では「一人でも犠牲者が出た建物は残さない」との方針のもと、いわゆる公物解体が実行されている。その結果、気仙中学校や雇用促進住宅の一部保存が決まる一方で、体育文化施設や市役所はすでに解体された。他方、市民からの意見ではなく「メディアが大騒ぎした」(市長記者会見)ために、中央公民館の壁の一部を切り取って残すこととするなどの対応もしてきている。有名になった旧松原の一本松モニュメントもそうであるが、国営のメモリアル公園誘致とも将来的にはつながっていくのであろう。
 現在はまだ建物が残っている、石巻市でもっとも大きな被害を出した南浜・門脇地区に建つ門脇小学校も、近隣の中学校がグラウンドを使用する際の配慮から、建物全体に目隠しのカバーをかけた状態だ=写真参照。女川の横倒しになったコンクリート建物(銀行など3棟)も地元住民意向としては解体を望む声が圧倒的だといわれている。南三陸町の防災庁舎や、石巻市の大川小学校が弔意を表す場所となっているものの、このまま時間が経過すれば、これらもいずれ解体されることになるのであろう。

■議題設定責任
 全体として地元意向が保存に反対である中、地元メディアは積極的に是非を問う報道はしづらい状況があるように見受けられる。その一方で、もし何も残さないとして、どうやって後世に伝えるのかその具体的な形を提示できないでいるのではないか。写真や映像があるといっても、津波映像や犠牲者の映り込みについては、強い「配慮」によってオブラートに包んだ表現方法をとらざるを得ない状況にある。翻って、8月の戦争・平和報道が、どれだけの効果や成果を現しているのかを思うと心もとなく思う側面も否定できない。確かに各種世論調査によると、戦争は嫌と答える比率は高い。しかし一方で、中国や北朝鮮が日本の領土に攻め入ってくるとの恐怖が伝えられ、結果として、戦争のための軍備の強化にも少なからぬ比率の賛意が示されているからだ。
 広島では原爆資料館の等身大人形の撤去が決定した。同様の議論は沖縄の資料館でもあった。レプリカではなく遺品等の「現物」中心の展示で十分というものである。しかし不幸にも災難を引き受けた世代として、可能な限り「ありのまま」を「わかりやすく」、そして「生々しく」伝えていく努力をする必要があるのではなかろうか。日本は戦争について先に挙げたガマや原爆ドームを除き、あえてこうした伝承方法をとってこなかった。しかし被災地にこの2年間通い、遺構が消えていくさまに接するに当たり、想像によって当時を理解することには限界があると思うからだ。
 その意味でも、伝承の難しさを日々の報道活動で実感しているメディアこそが、地震国として津波の教訓や、一般市民の多くの命を奪った戦争の悲惨さ、日常的な危険と隣り合わせの基地の実態を、自らの番組や紙面以外に社会としてどう伝承し、より多くの人に理解してもらうのかについて、世論形成をしていくことが必要ではないだろうか。
(山田健太専修大学教授=言論法)