prime

<メディア時評・秘密保護法案>人権大幅制限の新法 「必要ない」声を政府へ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 今月3日、政府から「特定秘密の保護に関する法律」(秘密保護法)案の概要が示され、一般向けのパブリックコメント(意見聴取)が開始された(17日まで、内閣官房ウェブサイト)。自民党内で検討チームが初会合を開いてからわずか1週間、政権与党の公明党にいたっては、事前に連絡さえなかったという。

 しかしその拙速ぶりよりも、これまでの検討手続きや法案内容にはさらに大きな問題がある。
 秘密法策定は政府の強い願望で、1960年代に始まり、その後10年ごとに刑法改正や特別法の制定を目論(もくろ)んできた歴史がある。そして今回の法案に直接つながる動きは、まさに第1次安倍内閣の2006年に設置された情報機能強化検討会議で、さらに行政内部の組織として内閣官房、警察庁、公安調査庁、外務省、防衛省の役人だけで構成された「秘密保全法制の在り方に関する検討チーム」で基本方針が決まったとされる。今回の法案の中身は、その時の検討結果に基づいたものと推察される。
 しかし、いかんせん会議の議事録はおろか、その検討結果の報告書まで政府は秘密にしており、一体どういう経緯でどのような法律を作ろうとしているのかが分からないまま、人権を大幅に制限する新しい法律ができようとしている。この法案の最大の特徴がここにある。09年には民主党に政権が移ったが、その間も途切れることなく法制定の検討は続き(詳しくは当欄11年9月参照)、13年の総選挙で復帰した自公政権は、10月召集予定の臨時国会での成立をめざすという。

■情報公開の抜け道

 秘密の対象となりうる情報は、(1)防衛(2)外交(3)外国の利益を図る目的の安全脅威活動(いわゆるスパイ活動)の防止(4)テロ活動の防止-の4分野だ。そして「公になっていない情報のうち、漏らすことで国家の安全保障に著しく支障を与えるおそれがある情報」を「特定秘密」に指定することになった。この指定には「特に秘匿することが必要であるもの」とされているが、「行政機関の長」が秘密指定できることになっている。
 07年の自衛隊法改正によって、防衛秘密の指定権者が首相から大臣に変更された後、格段と秘密の件数が増えたとされることを勘案すると、特定秘密が野放図に拡張されていく可能性を否定できない。しかも、これまでの防衛秘密の実態からすると、どのような手続きで秘密指定されるか、どのくらいの文書が指定を受け、解除されたのか、全ては秘密である。
 その上、いったん特定秘密を受けた文書は、行政文書から除外され、勝手に廃棄することも自由となる。政府は都合の悪い情報を秘密指定しこっそり破棄することができるという、とんでもない仕組みが、防衛秘密の分野ですでに動いており、今回の法案は、この仕組みをそのまま法律で追認しようとするものだ。
 どの国でも秘密保護法がある、とよく言われる。しかしその前提は、きちんとした情報公開の仕組みがあることだ。日本は、この情報公開制度が他国より遅れており、法の施行も21世紀にはいってからだ。政府がこっそり文書を秘密指定し、それをこっそり廃棄できる国は民主主義国家ではない、というあまりにも「当たり前」の大原則がいまだに常識になっておらず、しかもようやくその抜け道を防ぐための公文書管理法を2011年に施行したばかりなのに、さっそく秘密保護法を作って、法律上、その抜け道を作ろうとしている。
 「普通の国」は政府機関の機密指定は、それが適切かどうかを監督する独立した行政機関が存在し、歴史的に重要な文書は長期的に保存することを求め、しかも指定とともに解除について必要かどうかを審査する仕組みが整備されている。

■危うい取材・報道の自由

 もう一つのポイントは取材・報道の自由への影響だ。法案では、罪となる情報漏洩(ろうえい)や取得は、(1)故意・過失による漏洩(2)人を騙(だま)したり、暴行を加えたり、脅迫したり、窃盗、施設への侵入、不正アクセス行為などにより特定秘密を取得する行為(3)故意の漏洩、上記2の行為の未遂、共謀、教唆、扇動-と定めている。その上で、「本法の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害することがあってはならない旨を定める」として、報道の自由を含む表現の自由への配慮を図っているとする。
 しかし、どんなにリップサービスをしたところで、取材者が(2)や(3)に該当する可能性があることはまったく除外されていない。
 記者が公務員に接触し、公務員が職務上知りえた秘密を聞きだす行為は、まさに通常の「取材」そのものである。今までも、それが「正当な業務行為」としてなされていた場合、それは「違法性が阻却される」として、形式的には犯罪行為だが法律違反は問わない、ということが裁判上で認められ、これが知る権利に基づく取材・報道の自由の具現化であるとされてきた。ならば、秘密保護法ができようと同じであって、新たな問題が起きないというのが政府の考え方である。
 しかしここに落とし穴がある。「正当な業務行為」を決めるのは裁判所であって、しかもその判断基準は専ら検察(政府)に委ねられているという現実だ。政府が報道の自由が守られた実例として示す「外務省沖縄密約漏洩事件」で、最高裁は報道の自由を謳(うた)い、「正当な業務行為」である限り取材の自由が守られるとしたが、実際、記者は倫理違反を理由として有罪判決を受けている。すなわち、「正当」かどうかは、検察あるいは裁判官が考える報道倫理に該当するかどうかによって決まるとされている。

■戦後法体系の大転換

 これは、取材行為で政府にとって重要な秘密を漏らした場合、「教唆」犯として罰することを図らずも示している。しかも罰則を現在の倍以上に厳しいものにすることによって、心理的なプレッシャーを与え、記者に「伝えること」を妨げようとしている。こうした行為は職業記者だけではなく、市民運動でも適用されることになるだろう。
 さらにこれまでは「そそのかし」が罪であったのが、法案では「騙して取得」すること自体が罪となったことから、漏らした側が「騙されました」と証言することで、その取材方法が正当か否かによることなく自動的に罪となる可能性が生じる。これまた、格段に取材者に対して大きな障害となるだろう。
 こうした情報へのアクセスを直接罰する条項を入れることは、これまでの戦後の法体系では、戦前・戦中の苦い経験から「あえて」避けてきたことである。どうしても変えなければならない切迫した実例もないまま、それほどの大転換を実行することは看過できない。
 冒頭のパブコメを通じ、情報隠しのための秘密保護法は必要ないとの声を、政府に届けることが必要だ。
(山田健太専修大学教授・言論法)