台湾高雄の戴文凱さん、恩師の家族と対面


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戴文凱さん(左)が用意した資料や写真を見ながら昔話に花を咲かせる真栄田昭子さん(左から2人目)、金城絹枝さん(右)ら=18日、宮古島市内

 【宮古島】台湾南部の高雄在住で高雄県医師公会理事長の戴文凱(たいぶんがい)さん(79)が、六十数年前に世話になった宮古島出身の故松川浩氏の遺族に会うため、18日に宮古島市を訪れた。初めて対面した両者は「会えてよかった」と涙を浮かべ、思い出話に花を咲かせた。

 「宮古島出身の恩師に会い感謝を伝えたい」。戴さんが宮古島を訪れたのは、ことし5月に松川さんやその家族と連絡を取ろうと宮古島市や琉球新報社に人捜しの手紙を出したことがきっかけ。
 松川さんは戦前、台湾で学校長をしていた。だが日本の敗戦と共に職を解かれ苦しい状況に。戴さんは松川さんが宮古に引き揚げるまでの間、家庭教師として勉強を教えてもらったという。松川さんは戦後、旧下地町の助役などを務めた後、1962年に亡くなっていた。
 恩師の故郷を訪れた戴さん。遺族と共にした夕食会では「私は松川先生のおかげで医者になれた」と感謝。松川さんの写真や当時の手紙を手に、当時の生活や松川さんに関する思い出を振り返りながら交流を深めた。
 松川さんの長女・真栄田昭子さん(85)は「父との思い出を大切にして宮古島まで来てくれたことがうれしい」と涙をこぼした。次女・金城絹枝さん(78)は「話から誠実さが伝わってきた。父も喜んでいると思う」と笑顔。兵庫県に住む三男・勝行さん(75)も駆け付け「こんな心優しい人におやじは慕ってもらっていた。感激している」と語った。
 戴さんは「宮古島に来てよかった。当時松川先生から教えてもらった家がまだ残っている。ぜひ皆さんを迎えたい」と台湾来訪を呼び掛け、互いに再会を誓った。