疎開の町田さん「沖縄の戦況知らず不安」 戦後史を記録する会


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自身が体験した学童疎開について話す町田妙子さん=9月20日、沖縄市中央の市戦後文化資料展示室ヒストリート2

 【沖縄】沖縄市市史編集担当は9月20日、市戦後文化資料展示室「ヒストリート2」で、定例の「戦後史を記録する会」を開いた。沖縄が戦場になる可能性が指摘される中、1944年に宮崎に疎開した町田妙子さん(83)が当時の様子や疎開先での暮らしなどを語った。

 町田さんは学童疎開で宮崎県岩戸村(現高千穂町)の山裏国民学校(当時)へ転校した。米軍の攻撃を受ける危険性もあることから、多くの親が子どもを疎開に出したがらない中で「当時は最上級生だったので、示しをつけるためにも、疎開を断れなかった」と振り返った。
 疎開先では、初めて雪を目にし、地元の人たちの親切さを感じた一方で、沖縄の状況を知ることができずに不安を感じていた。「戦争から離れるつもりで疎開したが、影響から逃れることはできなかった」と語った。
 帰郷後も現在まで疎開先の人たちと交流しており、「戦争の中で触れた温かさを忘れず、今後も交流を続けていきたい」と話した。