【島人の目】ピアニスト「ナカマツ」


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 偉大な米ピアニストのヴァン・クライバーンが今年3月27日に、テキサス州フォートワースの自宅で死去した。米ソの冷戦まっただ中の1958年にモスクワで行われた第1回チャイコフスキー国際コンクールで、見事、23歳で優勝し、世界をあっと驚かせ、大センセーションを巻き起こしたことで知られる。

 40代半ばで、コンサート活動をやめてしまった後も4年に1度開かれるヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールとして業績を残した。2009年に全盲の日本人ピアニスト辻井伸行さんが優勝したことはかなり話題を呼んだ。記憶している人も多いであろう。
 1998年11月15日のことだ。当時リトル東京に建設中の日米博物館基金募集晩餐会がロサンゼルスのセンチュリープラザホテルで行われ、私も出席した。当日の晩餐会で著名な日系人3人が紹介された。故ダニエル・イノウエ上院議員、映画俳優のジョージ・タケイさんと当時29歳の青年ピアニスト、ジョン・ナカマツさんであった。97年第10回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンテストで見事優勝したのが、ナカマツ青年であった。
 由緒ある歴史を持つ国際ピアノ大会に、当時アメリカ人で優勝したのはナカマツさんを入れてたった3人。しかも、16年ぶりの快挙だった。ナカマツさんはカリフォルニア州生まれで、沖縄系3世。心根が優しいナカマツ青年は、当日千人以上集まったそうそうたる日系人の前で、自分の祖父母は沖縄からハワイへ移民したと話した。得意とするクラシック2曲を演奏した後、祖父母が好きだった「ここに幸あり」を演奏し、スタンディング・オベイションで万雷の拍手を浴びたことが記憶に残っている。
 ナカマツさんは現在45歳、ニューヨークのカーネギー・ホールでのピアノ・リサイタルやロサンゼルス・フィルなどの交響楽団で演奏活動を続けている。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)