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<メディア時評・秘密保護法と情報公開>「秘密」の説明責任放棄 将来の検証機会も喪失


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 政府は開会中の第185臨時国会に、特定秘密の保護に関する法律(特定秘密保護法)案を提出、7日に衆議院本会議で審議入りした。一方で野党・民主党は情報公開法改正案を提出、両法案は衆院国家安全保障特別委員会で実質審議される予定である。

同委員会は、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案をわずか21時間の審議時間で通過させており、秘密法案も同様のペースでいけば今月中旬には参院に送られ、月内には成立することになる。

■秘密法案の特徴

 同法の問題点についてはすでに、本欄はじめ3回にわたり本紙上で述べているが(詳細は『世界』11月号所収の拙稿参照)、ここでは情報公開の視点から問題点をあらためて指摘しておきたい。
 他国との軍事的な連携のためには、同程度の秘密保護制度が求められていると言われる。いわば「普通の国」としての体裁をとるための法整備であるということだ。しかし、民主主義的な社会制度の下では「国家情報をきちんと監理する法制度」が存在していて、その上に秘密を守る法が載っている。日本はその土台が「ない」のが、まさに特徴である。したがっていま示されている秘密法の本質は、秘密を簡単かつ無制限に作り出すことを法的に認める「秘密製造法」であり、隠したい情報を恣意(しい)的に囲い込み秘密裏に捨ててしまうことを承認する「情報隠蔽(いんぺい)法」に他ならない。
 本来まず必要なことは、国家情報をきちんと監理する「情報マネジメント権」の保障であり、きちんと保管・整理されている公的情報の開示を求める「情報アクセス権」の完備でなければならない。それなしでは、すでにある漠然とした「国の秘密」が無尽蔵に拡大することになる。現法案は、秘密を保護することには異常に熱心であるが、秘密を管理することについてはまったく無頓着で、その結果、政府は秘密情報に関する説明責任を完全放棄しているのである。
 実はすでに日本には、自衛隊法や日米安全保障条約に基づく特別法に基づき、防衛秘密と特別防衛秘密の存在が認められている。しかもこれらとは別に、省秘や特別管理秘密と呼ばれる「カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針」に基づき設けられた政府統一基準によって秘密指定された「国家秘密」がある。防衛省は5年間で5万5千件の秘密を指定し、3万5千件弱が指定解除されないまま廃棄されていた事実が明らかになった。しかしより重要なのは、実はそれらをはるかに凌(しの)ぐであろう数の、しかも法の根拠を持たない「ヒミツ」が政府にはすでに存在し、これらがそのまま「特定秘密」に横滑りし、法によって守られることになる点である。
 それはとりもなおさず、より厚い秘密のベールに政府情報が隠されることを意味する。そしてこの主たる範囲こそが、今回の法案で新たに対象として追加された「外交・テロ行為・スパイ行為」に関する分野で、これには経済・社会・公安に関する情報がなんでも入る可能性がある。そしてこれらスパイやテロに関する情報は、言うまでもなく人を監視するものであって、人権との抵触が極めて起こりやすい分野である。
 こうした国の恣意的な秘密指定の実態はほとんど何も分かっておらず、かつ秘密指定のルールさえも明らかにされていない。

■知る権利の侵害

 今回の立法化のきっかけになったとされるのが、2010年に明らかになった警視庁からのテロ情報の漏洩だ。その中身はイスラム教徒に対する過剰な監視活動の記録であり、まさに人権侵害そのものであることが裁判を通じて明らかになりつつある。
 したがって、法ができればこうした不当な公安捜査が、まさに秘密裏に実行され、しかも誤った収集情報に基づき、より深刻な人権侵害が継続拡大する可能性があるということになる。あるいは、自衛隊情報保全隊による個人情報の収集による国民監視などについても、すでに問題性が指摘されている通りである。
 そしてこうした問題の指摘のための事実の適示、すなわち一方的に秘密とされてきた政府保有情報の暴露が、今後は刑事罰を課されることになるのである。
 なぜなら、これまでは国家情報の「取得」はそれ自体罪ではなかったものの、今後は、洩(も)らした行為だけではなく、取得する行為が罪とされるからである。これは、従来の秘密の守り方のルールを180度変えるものであり、憲法が保障する表現の自由規定に抵触する可能性もあるといえる。日本は、表現行為の例外なき絶対保障を定めている世界でも稀有(けう)な国である。その意味するところは、他国のように「公共の利害に反する」といった理由で、特定の表現行為を排除しないということである。
 より具体的に言えば、住居侵入といった違法な手段を用いて情報にアクセスした場合、結果的にその取材行為が罰せられるにすぎないのがルールである。それを今後は、政府の判断で許される取材行為を決めるとしている。かつて新聞記者が沖縄密約を入手した行為を、秘密法の適用かどうかの基準にすると繰り返す政府の態度から推し量るならば、違法ではない取材手法を社会常識に反するとして恣意的に罰することが許されることになるだろう。
 情報へのアクセスを取り締まることが政府の恣意的な言論の弾圧につながり、それがひいては民主的な社会を崩壊させていった、過去の歴史的教訓を無にするものであることは言を待たない。
 しかもようやく定着してきた情報公開制度に基づいて、非公開理由の線引きが積み上げられてきたものを一気に崩し、政府の定めをすべてに優先させ、将来的な検証の機会を失わせる可能性も包含している。なぜなら、特定秘密の指定は、「対象となる秘密そのものの存在が秘密」のため、非公開判断基準である「公開することによる支障の『おそれ』」を、裁判所が判断する術(すべ)を失うことになると想定されるからである。これは、主権者である私たちが勝ち取ってきた知る権利を根こそぎ奪うものであって許されない。
 実質的な担保がない文字通りのリップサービスである、知る権利や報道の自由への配慮条項によって、この法案の性格は変わるものではない。
(山田健太 専修大学教授・言論法)