平和の大切さ学ぶ 神奈川の高校生2人、沖縄戦体験者を訪問


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伊藝清徳さん(左)の体験した沖縄戦の話を遠山里紗さん(右端)と吉田朱音さん(右から2番目)=10月27日、神奈川県川崎市の川崎沖縄県人会

 【東京】沖縄戦について学ぼうと、神奈川県の横浜緑ケ丘高校の吉田朱音さん(17)と遠山里紗さん(16)がこのほど、川崎沖縄県人会を訪れ、戦時中に米軍の空襲から逃れるため金武町の壕(ごう)に身を隠して生き残った伊藝清徳さん(72)=神奈川県川崎市在住=の戦争体験を聞いた。

 吉田さんと遠山さんは、12月に修学旅行で沖縄を訪れる予定。事前学習の一環として戦争体験者の話を聞こうと、同校の川手徹教諭を通じ、戦争体験者の伊藝さんと面会した。
 伊藝さんは金武村(現金武町)出身。5人兄弟の3番目の次男として生まれた。1945年に沖縄戦が始まり、戦火が激しくなると、自宅の近くにあった「メーカジメーヌガマ」という壕に家族全員で避難した。当時9歳だった伊藝さんは末っ子の弟をおぶって逃げたこともあったという。
 当時32歳だった父親は日本軍に召集される。南部で一緒に歩いたという人の話を聞いたが、現在も遺骨は見つかっていない。「遺品の代わりに行方が分からなくなった場所で石ころを拾った」(伊藝さん)。
 戦争中、一番怖かったのは壕の前にいた人たちが空襲で犠牲になったことだという。熱心に話に聞き入る吉田さんと遠山さんに伊藝さんは眉間にしわを寄せながら話した。伊藝さんによると、集落の住民らと壕に避難していた際に、突然「ドーン」という衝撃音が壕の入り口付近で響いた。衝撃で壕の中の石油ランプが消えた。外には中部から避難してきた人たちがいた。
 「後で周囲を確認すると、石垣の上に人の手があったり、木の上にその人たちが使っていた布団や衣類が掛かっていたりしていた。戦争で人が死ぬんだと実感した瞬間だった」
 伊藝さんは一家は父親を除き、全員無事だった。母親の故・カナさんは朝から夜遅くまで毎日働きづめで5人の子どもを育てたという。
 伊藝さんは「政治や外交などでいろいろ難しいことはあるかもしれないが、平和な世の中を守ってほしい」と吉田さん、遠山さんに語り掛けた。
 戦争体験を聞いた吉田さんは「本やメディアを通してだけでなく、実際の体験者から話を聞けてよかった。沖縄でもしっかり学習したい」、遠山さんは「私たちのような一般の住民がどんな思いだったのか少しは理解できた。平和や文化を大切にする沖縄のことをもっと知りたくなった」と話した。(松堂秀樹)