<公有水面埋立承認申請書に関する名護市長意見書案>1


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 1996年、橋本・モンデール会談により普天間飛行場の返還が合意されました。しかしそれは、県内移設という条件付きであり、多くの県民を落胆させました。

 移設候補先となった名護市では、住民投票で半数以上の市民が反対する中、普天間飛行場の代替施設受け入れ表明に始まり、七つの条件の提示、V字案での基本合意など、長きにわたりこの問題に大きく翻弄(ほんろう)され、市民が建設反対・容認で二分され続けてきました。

 あれから17年、この状況に終止符を打つべく、私は「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」という公約を掲げ、2010年1月、市民の負託を得て市長に当選いたしました。これは沖縄県における民意の転換点であったと自負しております。時期を同じくして、「最低でも県外」を掲げた民主党が政権を担い、多くの県民が普天間飛行場返還の実現に大きな期待を抱くとともに時代の転換を確信しました。しかし、その公約も「辺野古移設回帰」という形で、もろくも崩れ落ち、県民は再度失意のどん底に突き落とされることとなりました。この「辺野古回帰」は逆に県内移設反対への大きなうねりとなり、沖縄県議会の「国外・県外を求める超党派の意見書」全会一致の決議や名護市議会議員選挙による与党多数、参議院議員選挙、そして沖縄県知事選挙と、沖縄県民の民意となって現れることとなりました。また、『オスプレイの配備撤回と米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」』を安倍晋三首相に手渡した2013年1月の東京行動には、沖縄県内全41市町村長が参加し、いまや普天間飛行場の県外移設は県民の総意となっています。

 戦後68年が経過した今、沖縄県民は基地に頼らない経済を実証するとともに、米軍基地の過重負担、不公平さを強く感じ、基地に対する怒りの声は既に頂点に達しています。

 沖縄県には、国土のわずか0・6%の面積に国内の73・8%の在日米軍専用施設が集中しています。また、20カ所の空域、28カ所の水域が米軍の管理下に置かれ、都市計画や公共交通システムの構築、漁業や水産業にも大きな影響を及ぼし、県土発展の妨げとなっています。

 戦後の日本は戦禍による荒廃から目覚ましい発展を遂げ、今日では経済大国の一つとして国際社会での地位を築いてきました。その発展の陰には、日米安保の最前線で米軍基地の大きな負担を担ってきた沖縄があります。その沖縄に新たな基地を建設するということは、戦後一貫して続く負担の更なる押し付けであり、それは本来日本国民全てが等しく担うべきもので、到底受け入れられるものではありません。

 本意見書作成にあたり、市民生活への影響について、行政組織として調査するとともに市民の声を直接聴取いたしました。これらを総合的に判断した結果、新たな負担を強いる基地の建設を認めるわけにはいかない、ということを確信いたしました。

 普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立について、事業者である国は「環境保全への配慮は適正であり、環境保全の基準又は目標との整合性も図られていると判断した」としていますが、環境保全に重大な問題があり、沖縄県知事意見における指摘のとおり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能であると考え、本事業の実施については強く反対いたします。

 本件申請については、下記の問題が考えられますので、未来の名護市・沖縄県へ正しい選択を残すためにも、埋立ての承認をしないよう求めます。

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