「集団死」生々しく 松本さん証言、コザ孤児院体験も


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家族を失った「集団自決」や孤児院での暮らしを証言する松本さん(左)=11月20日、沖縄市中央のヒストリート2

 【沖縄】沖縄市市史編集担当は11月20日、市戦後文化資料展示室「ヒストリート2」で、定例の「戦後史を記録する会」を開いた。沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)で家族を失い、沖縄市住吉にあったコザ孤児院で暮らした松本実さん(78)=浦添市=が自らの体験を語った。

 松本さんは8歳の時、浦添市で沖縄戦を体験した。「集団自決」で両親と2人のきょうだいを失った。松本さんだけは現場から逃れた。
 当時の様子について松本さんは「米兵が近づいてきたため大人たちは皆一緒に死ぬ準備を始めた。大人は日本兵から配られた手りゅう弾を持っていた。爆発が起こり、倒れる人やうめく人がいた。その中で1人のおじさんが娘を連れて逃げたため、私も後ろから付いていった」と証言した。
 米兵に収容され、コザ孤児院に送られた松本さんは4歳だった弟との再会を待ちわびた。「いつも弟のことを考えていた。捕虜になって孤児院に来ることを願ったが、とうとう来なかった。自決の時、一緒に逃げればよかったと今でも思う」と話し、涙を拭った。
 孤児院の食糧事情は厳しかったといい、松本さんは米兵の食べ残しをあさって空腹を満たした。「米軍のテント小屋に入り、食べ物を探すこともあった。家族が死んでしまい、怖いものもなくなっていた」と当時の心境を振り返った。
 4人の子と10人の孫に恵まれた松本さんは「幼いころ貧乏だったため、大きな家とたくさんの子が欲しかった。いろんな仕事をやり、一生懸命働いた。生き延びることができて良かった。今、幸せを感じている」としみじみ語った。