九州「可能性あった」 普天間県外移設で平野元官房長官


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インタビューに答える平野博文元官房長官=大阪府枚方市

 2009~10年に当時の鳩山民主党政権が行った米軍普天間飛行場の県外移設候補地に関する検討作業で、中心的な役割を担った平野博文元官房長官が22日までに琉球新報のインタビューに応じ、九州に移設し、同地域の自衛隊基地や演習場を演習地として使用する案について、「技術的な可能性はあると見ていた」ことを明らかにした。

その上で断念した理由に関して、鳩山由紀夫首相(当時)が移設先決定の期限を「10年5月末」と区切っていた中、合意形成や自衛隊基地の使用制限などの課題の解決に時間を要することが必至だったことで「時間軸などを考えると総合的に難しいと判断した」と語った。
 09年9月に発足した鳩山政権は県外移設を模索したが、10年5月までに名護市辺野古に移設する現行計画に回帰した。平野氏の証言は、民主党政権が県外移設の実現可能性を認めながら、時間的制約から作業を中断していたことを示すものだ。
 九州移設案は、埋め立てを前提に飛行場やヘリポートを建設し、既存の自衛隊演習場などを使用する案を検討していた。飛行場などの候補地と演習場は複数県にまたがる案があったという。
 平野氏は飛行場などの建設について在沖米海兵隊の移動手段となる強襲揚陸艦が所属する米海軍佐世保基地近辺などが念頭にあったと説明。演習地の候補は大村(長崎県)、新田原(宮崎県)、築城(福岡県)、日出生台(大分県)などの自衛隊基地・演習場だったが、各基地の厳格な使用時間などの制限も障害になったと述べた。
 検討した移設先や演習地は四十数カ所で、(1)飛行場などの建設、近くに海兵隊の作戦遂行可能な演習場があるかどうか(2)移設先自治体の合意形成―などの実現可能性を検討した。
 平野氏は鳩山首相が移設先の決定期限を10年5月末に設定したことに関し「もう1年ぐらいやっていれば少しは(検討作業が)動いたと思う」と述べた。作業を短期間に限定したことで「(移設先の)選択肢の幅が狭まった」とも述べた。
(内間健友)