種もみ交流で「石垣も恩恵」 きょう北上市と友好都市


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菅原邦典さんの教えを今も稲作に生かしている大浜博彦さん=21日、石垣市内

 【石垣】1993年の大冷害で岩手県の種もみが壊滅状態となり、石垣島で岩手の種もみを緊急増殖したのをきっかけに、岩手県と石垣市の間では約20年の交流が続いている。石垣市は25日、交流発展を願い岩手県北上市と友好都市を結ぶ。種もみ交流は「石垣が岩手を救った」と伝えられているが、石垣島の農家も岩手県から栽培の技術指導を受け、飛躍的に反収(10アール当たりの収量)が向上した。

 「岩手の方への感謝は忘れることができない」と語るのは、石垣島で種もみ生産に当たった43人の農家の一人、大浜博彦さん(79)だ。特に岩手県の栽培指導員として石垣島を訪れた故・菅原邦典さんへの感謝は尽きないという。菅原さんは岩手県が培った生産技術を惜しみなく石垣島の農家に教えた。大浜さんは、今も菅原さんから教えてもらった技術を生かし、反収の高さなどから「石垣島のチャンピオン」と呼ばれている。
 大浜さんが菅原さんから習った技術で印象に残っているのは「中干し」だ。稲の生育段階でいったん田んぼから水を全て抜き、地面がひび割れるまで干す。この結果根が強くなり、稲が倒れにくくなる。大浜さんは「菅原さんは若くして亡くなってしまったが正直で一生懸命な人だった。石垣の農家の恩人だ」と語った。