『「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか』 50年代活動家への鎮魂


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『「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか』森宣雄・鳥山淳編著 不二出版・1800円

「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか―沖縄が目指す“あま世(ゆー)”への道

 戦後10年目の50年代に活躍した人の多くは逝き、残るは等しく老境に入る。車窓に映るフェンスに囲まれた軍事基地、その地層に横たわる伊佐浜の美田の存在を知る人も少ない。その農地を必死に守ろうとした人への思いも薄らぐ。その50年代のスケールの大きさを映像と人々の動きに絞り、再現してくれたのが本書である。

ここには、敗北を抱きしめ生を貫く人々の時代精神の息吹を伝える。東アジアを視野におさめる沖縄基地をアメリカ、日本、沖縄、奄美の織り成す時空で、そこに生活する人々の動きを島ぐるみ闘争として統合的に捉えてみせる。編者による歴史的な概観描写が1部、登場人物・国場幸太郎の自分史的な構成の時代描写が2部に刻まれる。3部が同時代の群像の交流相関図の記憶及(およ)び記録からなり、全体として関係者の鎮魂の色彩も帯びる。
 本書の署名が示すように、島ぐるみ闘争の準備過程を可視する手法は、膨大な関係の基本資料の収集から始まる。その資料は、既に「戦後初期沖縄解放運動資料集」(全3)として刊行を見る。その集積と緻密な分析の結果として、実証的で説得的な本書が誕生した。読みやすさにいくらか難点を残すが、その分、分かりやすく冷静な筆圧で書かれた国場の回想録の文体が、それを補充する。クリオに仕える歴史家のような文章だ。第3部は、50年代と現代の落差を結ぶ心情の中に国場を位置付け、その精神と論理を手繰り寄せる。過去を現代に映し、課題を未来に架橋する視点が生きている。
 歴史的な政治社会運動の評価は、現代の政治的課題ないし党派制の相異によって必ずしも共通するとは言えない。逆に運動や人物の歴史的な評価は、民主主義の永久革命的な側面と共通する。その相違の存在が、流れの連なる人々の生きた証(あかし)かもしれない。本書の提起した課題は、新鮮で重いテーマである。
 琉球・沖縄があるまとまりとして表現される言葉として、島ぐるみ、全県民、オール沖縄等がある。その言説にいかなる内容を込めるのか。新しい言葉は新しい思想の発見にもつながる。
 アメリカの公文書館にあるCIA文書を収集し、植民地支配の実態を解明することは、その時代の活動家への鎮魂につながり、秘密保護法の事例研究にも参考になろう。
(我部政男・山梨学院大学名誉教授)
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 もり・よしお 1968年横浜市生まれ。聖トマス大学人間文化共生学部教員。
 とりやま・あつし 1971年生まれ。神奈川県出身。沖縄国際大学総合文化学部教員。