滋賀の出稼ぎ者支えた「沖縄館」 18年の歴史に幕


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客と談笑する滋賀県沖縄県人会世話人代表の高間エツ子さん(左)=2012年5月

 滋賀県沖縄県人会の世話人代表を務める高間エツ子さん(62)=久米島出身=が1995年8月に開き、沖縄文化の発信地として親しまれた「沖縄館」が14日、閉館した。湖南市にあるJR甲西駅前で県人会事務所と物産店を兼ねていたが、県人会員の減少で赤字経営も限界となった。4月の消費増税を機に、18年の歴史に幕を降ろした。

今後も沖縄問題を通した平和や人権活動を続ける高間さん。「一つの場所がなくなるのは申し訳ないが、今後は外での活動にもっと力を割ける」と前を向き、沖縄を伝える決意を新たにする。
 復帰前、神奈川県の工場に集団就職した高間さんは、同僚から「琉球人」と差別された。いじめに屈せず、沖縄の誇りを持ち続けたが、1972年の日本復帰に挫折感を濃くする。「『日本人』になれば、いじめられないのか」
 縁あって移り住み、結婚して家庭を持った滋賀県。近隣には自動車メーカー関連の工場が多く、出稼ぎ県出身者のよりどころとなって相談に乗ってきた。出稼ぎが大挙してきた時代から、派遣切りの苦しい時代も見た。「不安定雇用の中で差別やいじめに遭い、悪循環にはまってうつになったり、自殺を考えたりする人たちの心配をしてきた」と振り返る。
 差別された経験を血肉とし、沖縄問題になじみの薄い土地で三線などの文化を紹介、平和や人権学習の講師を積極的に務め、歴史や米軍基地問題を広く伝えてきた。心ない批判も受けて立った。活動は続けるが「私は頑張っても65歳まで。なかなか後に続く人が見つからない」と悩む。
 閉館を聞いて花束を持って駆け付け、惜しむ声を涙で詰まらせた常連も多くいた。「私はいつも近くいるから、心配しないで」。県人会事務局は自宅に移すという。(石井恭子)

※注:高間エツ子さんの「高」は旧字体