聖火ランナー 夢再び 1964年東京五輪時の走者・宮里さん


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聖火リレーを願いゴールする宮里操さん(中央)と家族や仲間=16日、名護市

【名護】1964年の東京五輪開催時に聖火が日本で初めて宿泊した名護に6年後の東京五輪でも聖火が訪れることを願い、当時聖火ランナーを務めた宮里操さん(71)の古希を祝う手作りの駅伝大会が16日、市内で行われた。

家族やランニング仲間と26・4キロを走り継いだ宮里さんは「当時と同じコースだけど坂道がきつかった。6年後も聖火ランナーをやりたい」と思いをはせた。
旧久志村三原出身の宮里さんは当時、オリオンビール陸上部に所属。嘉陽に1泊した後の第1走者として、1・2キロを走った。今回の駅伝は宮里さんも所属するランニング愛好者の集まり「スリサーサー会」の新里精吾さん(73)、64年の聖火リレーに参加した平良孝幸さん(67)らが企画・参加した。
駅伝は嘉陽の聖火記念碑前からスタートし、宮里さんとスリサーサー会、家族ら約30人で伊差川の宮里さん宅まで思いをつないだ。羽地地域に入ってからは聖火に見立てたススキを持った宮里さんを先頭に、みんな一緒になって「聖火を再び嘉陽へ」などと書いた横断幕を掲げながらゴールした。
宮里さんと一緒に走った孫の侑樹君(17)、沙世さん(15)、快一君(8)は「おじいちゃんはすごい」と口をそろえ、6年後の東京五輪での聖火リレー走者に意欲を見せた。宮里さんは「自分が走りたいけど、チャンスがあれば子や孫の誰かに走ってほしい」と期待した。