社会

聖マタイ幼稚園の不発弾爆発40年 負の記憶、後世に

 1974年に那覇市小禄の聖マタイ幼稚園そばの下水道工事現場で起きた不発弾爆発事故から2日で40年。事故は幼児を含む死者4人、重軽傷者34人を出した。事故を体験した元園長の鬼本(きもと)照男さん(85)=豊見城市=は「被害者を出さないためにも事故を風化させてはならない」と話している。

 74年3月2日、工事現場で重機が基礎工事用の鉄杭(くい)を打つ中、旧日本軍が使用した機雷に触れ爆発した。土砂で人が生き埋めになり、重機や鉄杭が吹き飛んで車両や民家に直撃。その日幼稚園では、園児や父母ら約400人が参加しひな祭り会が開かれていたが、爆発音と地響きで園内に悲鳴がこだましたという。
 事故後も不発弾爆発による住民の負傷は相次ぎ、2009年には糸満市で作業員が重傷を負った。「教訓が生かされていない」。繰り返される悲劇に心を痛める。
 幼稚園はその後豊見城市に移り、事故現場は当時の面影はない。「記憶をとどめないといけない」と事故の風化を懸念する。2日は教会へ礼拝し、祈りをささげる。鬼本さんは事故を現在の基地問題と重ねる。「国の理屈の上に私たちの暮らしがあることは不条理だ。平和で安心して暮らせる社会であってほしい」と話した。


「事故の記憶を継承しなければならない」と強調する聖マタイ幼稚園元園長の鬼本照男さん=2月、豊見城市豊見城

不発弾が爆発し、土砂に覆われた聖マタイ幼稚園の園庭。同園だけでなく、周辺の家屋などにも被害を与えた=1974年3月2日、那覇市小禄