プレーでエールを ヤクルト・比屋根選手(石巻のチーム出身)


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「石巻で『あいつ頑張っている』と言われたい。野球で貢献したい」と話すヤクルト・比屋根渉外野手=埼玉県のヤクルト選手寮

 【東京】「震災で受けた傷は癒えない。でも人間は強いと信じる。前向きに生きてほしい」。東日本大震災から3年。プロ野球ヤクルトで活躍する比屋根渉外野手(26)=八重瀬町出身=は社会人野球チーム・日本製紙石巻(宮城県石巻市)の選手時代、大震災に遭った。

「こんな状態で野球をやっていいのか」と悩み、選手生命を諦めかけたことも。しかし今はプレーで東北の人たちを元気づけたいと開幕1軍の活躍を誓う。
 地震発生時、比屋根選手は大会出場のため東京にいた。宿泊先の高層ホテルは大きく揺れ、「駄目かもしれない」と思ったという。
 日本製紙の工場がある静岡県へ避難し、石巻に戻ったのは3月末。街はがれきの山だった。工場や被災者宅の泥かきから始めたが、「夢を見ているようだった。数日してやっと『これは現実なんだ』と分かった」。当時、写真は1枚も撮っていない。つらすぎたからだ。
 1カ月近く風呂もなく、おにぎりやパンで暮らし、眠れない日が続いた。先輩が泥の中から遺体を見つけショックを受けた。が、「下を向いてもしょうがない。自分にできることをやろう」と思い直した。後に結婚する千尋さん(27)が、震災後すぐに看護師として石巻赤十字病院に勤め、被災者の治療に当たったことも力になった。
 5月半ばから練習を再開し、北海道旭川から熊本まで練習拠点を転々としながらもチームは存続した。「野球で石巻の人たちを元気にしよう」と誓い合った。
 3年を経てプロ選手となり、埼玉に転居したが石巻への思いは消えない。「被災者だからと特別視しては駄目だと思う。はい上がる気持ちを持ってほしい」とエールを送る。自身は、「活躍して、石巻の工場で『あいつ頑張ってるな』と話題になりたい。今季は優勝争いに絡めるよう貢献したい」と話した。(島洋子)