体験の記憶 継承決意 後藤利恵さん(南城市出身)


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震災で唯一残ったウエルカムボードを手にする後藤利恵さん(右)と雄喜さん(左)、優利ちゃん=2日、宮城県石巻市

 宮城県石巻市に住む後藤利恵さん(28)=旧姓・大城、南城市出身=と夫の雄喜さん(28)は震災時、甚大な被害を受けた石巻市と女川町でそれぞれ被災し、4日間連絡が取れなかった。

3年たった今、唯一残った泥の付いた披露宴の「ウエルカムボード」が2人の宝物だ。利恵さんは「津波が来ることを忘れないで、自分の命を最優先してほしい」と、震災の記憶を子どもたちに語り継いでいくつもりだ。
 利恵さんは震災があった日、石巻市沿岸部にある自宅にいた。近くのスーパーの屋上まで車で避難し、車内で寒さをしのいだ。携帯のワンセグから聞いた情報は「女川町が壊滅状態」。女川にいる雄喜さんの安否が気になった。
 津波警報が解除された3日後、利恵さんは自宅に向かった。津波で骨組みと壁が残った自宅には、1年前の披露宴で飾った「ウエルカムボード」が壁に残っていた。泣きながらボードを外した。「もうこの笑顔に会えない」
 そのころ、女川町役場職員の雄喜さんは、同町の高台で被災していた。避難所の運営から遺体安置所の管理まで、3日間飲まず食わずで仕事を続けた。仕事が落ち着く夜になると毎日、利恵さんのことを考えた。5日後、親戚から連絡を受けた利恵さんが女川町に行き、2人は再会した。「こんなに泣けるのか」と思うくらい涙があふれた。
 現在、雄喜さんは防災を担当している。街が未完成の状態では「暫定的な防災計画しかつくれない」と話す。防災のためにも早く街が完成することを願う。
 今では、2人は家を出る前にお互いの避難場所を確認するのが習慣だ。震災後に生まれた娘の優利ちゃん(2)の写真でいっぱいになった部屋には、ウエルカムボードが飾られている。利恵さんは「お互い生きていたからやってこれた。何よりも命が大事だ」と話した。(田吹遥子)