体験者、声震わせ 渡嘉敷村で戦没慰霊祭


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
69年ぶりに「集団自決」跡地を訪れ、当時の惨状を思い出す戦争体験者ら=28日、渡嘉敷村

 沖縄戦当時、渡嘉敷島で「集団自決」(強制集団死)があった28日、白玉之塔で渡嘉敷村主催の慰霊祭が開かれ、戦争体験者や遺族、村民ら約130人が参列した。参列者は戦没者594柱がまつられた塔に手を合わせ、悲惨な戦争を再び繰り返さないことを誓った。

 参列者は慰霊祭の後、「集団自決」跡地や、ことし村の戦争遺跡に指定された旧日本軍陣地赤松隊本部壕を訪れた。戦後69年ぶりに足を踏み入れた体験者も多く、当時の惨状を思い出し涙ぐむ人もいた。
 小嶺正雄さん(84)=村渡嘉敷=も、「集団自決」から生き残った一人だ。当時15歳だった小嶺さんは家族を守るため、壕を掘り避難していた。だが27日に米軍が島に上陸。赤松隊は島民を、陣地のある島北部の北山(にしやま)に招集した。「死を覚悟して集まった島民は晴れ着を着て、緊張した顔で座っていた。まとまって死のうと、帯で体を木にくくりつけている家族もいた」
 小嶺さんは配られた手りゅう弾に手をかけたが不発だった。「周囲の人々は手が吹っ飛んだり血だらけになっていた。刃物で家族同士殺し合っていた」と声を震わせる。小嶺さんは家族と共に逃げ出し、一命を取り留めた。
 戦後初めて、赤松隊本部壕を訪れた小嶺さん。当時の重い空気が漂う壕を前に「戦争がなければ、こんなに人が死ぬことはなかった。なのに今、国はまた戦争に向かおうとしている」と戦後69年となる現在の政治状況に危機感を示す。「長生きして子や孫に平和の尊さを伝えるのが、私たち生き残りの使命だ」と言葉に力を込めた。