惨事「語り継ぐ」 チビチリガマ慰霊祭、遺族ら決意


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遺骨を納めた祭壇に手を合わせる遺族ら=5日、読谷村波平のチビチリガマ

 【読谷】沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した直後の1945年4月2日に85人が「集団自決」(強制集団死)などに追い込まれた読谷村波平のチビチリガマで5日、慰霊祭(遺族会主催)が行われた。遺族ら約40人が参加し、69年前に命を失った犠牲者の冥福を祈り、沖縄戦や平和の大切さを語り継ぐ決意を新たにした。

 惨事が起こる直前にガマを出たため、家族8人が生き残った上地タケさん(74)=当時6歳=も家族代表として数年ぶりに参加した。隠れていたガマの奥まで足を踏み入れたタケさんは「ここ、この辺りに座っていたの」と指を差し、涙ぐんだ。壕を出る直前、ひしゃくに注がれた“死に水”が回ってきたという。タケさんが泣いたため「迷惑を掛けないよう外で死のう」と家族でガマを出たところ、命をつなぐ結果になった。
 亡き兄の繁富さんは、チビチリについて語るのを固く禁じていた。タケさんは当時を振り返り、「隣近所に遺族が暮らしていた。生き残ったことに強い罪悪感を抱いていたと思う」と語る。
 祭壇に手を合わせたタケさんは「当時を思い出して胸が苦しい。平和が続くことを願うしかない」と、数十年抱え続けた胸の内を明かした。
 遺族会の與那覇徳雄会長は「遺族が高齢化する中で私らができるのは子どもたちに事実を伝え、戦争をさせないこと」と呼び掛けた。
 読谷村職員労働組合青年部の15人も初めて参加した。