【読谷村ウイーク2014】石嶺伝実村長あいさつ/「地産地笑」の村目指す


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
石嶺伝実読谷村長

 琉球新報移動編集局「読谷ウイーク」が開催されるにあたり、一言ごあいさつ申し上げます。

 読谷村は本島中部に位置し、東に読谷山岳を頂点とした緑豊かな山並みが連なり、西は豊穣(ほうじょう)の海・東シナ海に面した半島状をなす地形をしており、まるで残波岬をくちばしとして大海原に飛び立たんとする鳳(おおとり)のようです。

 琉球王国の時代に中山王察度(さっと)の命を受けて明(みん)に渡り、万国津梁の懸け橋となった「泰期」、そして三線の始祖「赤犬子(あかいんこ)」は村の誇る偉大な先人です。そして築城家として名高い護佐丸により建設された「座喜味城跡」は2000年に世界遺産に登録されました。

 しかし先の大戦では、激しい戦火により多くの尊い人命が奪われ、貴重な自然と歴史文化もほとんどが失われました。戦後、懸命にふるさと「読谷村」を復興し、激動の時代を乗り越えてきた諸先輩方のご尽力により、読谷村の発展の礎が築かれてきたのです。

 その中でも特に読谷村は、多くの貴重な「人財」を輩出してきた村でもあります。沖縄の伝統工芸であるやちむんの故金城次郎氏、読谷山花織の故與那嶺貞氏、紅型の玉那覇有公氏は卓越した技術力と高い人間性が評価され人間国宝となりました。

 読谷村は現在、豊かな自然と歴史、文化を未来へと受け継ぐため、「ゆたさある風(ふん)水(し) 優(まさ)る肝心(ちむぐくる) 咲き(さち)誇(ふく)る文化(はな)や 健康(がんじゅう)の(ぬ)村(しま)」を理想像に、村民とともに「協働・創造・感動」の村づくりにまい進しています。

 このような中、琉球新報社との共催による読谷ウイーク開催は、今年の1月1日に「日本一人口の多い村」となった読谷村にとって、まさに時宜を得た企画です。期間中はさまざまな催しがあります。この機会にぜひ読谷村の魅力を多くの方に知っていただき、これからの村づくりの在り方を考える重要な契機になると期待しています。

 読谷村は地域社会のさらなる持続的発展を図るため、これまでの村づくりを踏まえつつも新しい時代に対応し、村民とともに考え、村民と知恵を出し合いながら協働し、地域が笑顔になれる「知産地笑」の村づくりに取り組みます。

 どうぞ皆さま、これからの読谷村の村づくりにご期待ください。