沖縄市誕生へ「激しい反対」 元職員中村さんが舞台裏証言


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「合併業務は苦労の連続だった」と語る中村良男さん=20日、沖縄市中央のヒストリート2

 【沖縄】元沖縄市の職員で、1974年4月のコザ市と美里村の合併業務に携わった中村良男さん(77)=沖縄市=が20日、市中央の戦後文化資料展示室「ヒストリート2」で開かれた「戦後史を語る会」で、両市村合併と沖縄市誕生の舞台裏を証言した。中村さんは「激しい反対に遭い、苦労の連続だった。それでも合併をやり切るという強い決意で事務作業をこなした」と振り返った。

 61年に美里村役場に採用された中村さんは73年7月、合併事務局に出向した。
 「合併特例法が切れる前の74年4月に合併することが、大山朝常コザ市長と中村哲二郎美里村長の間で決まっていた。わずかの期間に業務をやり遂げなければならなかった」と話す。
 村内の一部で激しい反対運動が起こり、合併事務局の業務も難航した。合併を議決する議会に反対派が押し寄せ、村三役が軟禁状態となることもあった。「自分たちは完璧に事務を進めている。なぜ議決ができないのか」という憤りを中村村長にぶつけたという。
 合併に対する村民意識について「合併後の計画がコザ中心だという不満がくすぶっていた。美里村側に公害を起こすような施設が来るのではないかという不安もあった。将来は美里側の人口が増えるので単独で市昇格を目指すべきだという声もあった」と語った。
 厳しい業務の末に達成された合併を振り返って、「当時はまだ30代。絶対に合併をやり遂げるという決意で業務に当たったが、まさに艱難(かんなん)辛苦だった。合併が実現したときの喜びは大きかった。合併を進める上で大山市長と中村村長の仲が良かったことも幸いした」と語った。
 沖縄市総務部市史編集担当は「コザ反米騒動」の証言を掘り起こす、月に1度の勉強会「コザ暴動を語る集い」を2010年から開始。その後も「毒ガス輸送」など重大事件や米統治下の行政や市民生活について勉強会を重ねている。