【読谷村ウイーク2014】地域づくりフォーラム/基調講演 石嶺伝実(読谷村長)


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石嶺 伝実(読谷村長)

対話大切に未来創造/住民結集し「年中夢求」
 読谷村は琉球王国時代には読谷山(ゆんたんざん)と呼ばれる中山国の要所だった。1372年には「読谷まつり」のモデルとなった初の朝貢貿易が行われた。15世紀には護佐丸により座喜味城が築城された。1908年に廃藩置県により読谷山村が発足し、2008年に村制100周年を迎えた。

 先の大戦では米軍の上陸地点となり、日本で唯一の地上戦に巻き込まれ、多くの尊い命、貴重な自然・文化が失われた。戦後は米国による異民族支配から本土復帰を果たし、軍用地の返還交渉を経て、現在は跡利用を進めている。
 村にはたくさんの伝統文化が息づく。伝統工芸には読谷山花織がある。村のやちむんの里構想により多くの陶工が集まり、今では県内有数のやちむんの村になった。琉球ガラスの稲嶺盛吉さんも現代の名工に認定されている。
 農業は読谷村の基幹産業だ。一番有名なのが紅イモだが、ピーマンやメロンも県内有数の産地だった。現在は切り花や甘藷(かんしょ)が県から拠点産地に認定されている。
 米軍読谷補助飛行場跡地に広がる農地は、県による土地改良事業とかんがい排水事業が進行中だ。長浜ダムからの農業用水供給により、計画生産、安定供給ができる体制が整いつつある。集選果場も整備され、今後もニンジンなど主要作物の生産が進むと考えている。
 年に1度、村民が結集して村づくりの心意気を示す一大イベントが「読谷まつり」だ。ことしは40回の節目を迎える。2日間で村民8千人が出演し、戦後途絶えていた地域芸能の復活、新たな文化創造の場になっている。
 プロチームのキャンプなどを誘致するスポーツコンベンション事業にも取り組んでいる。2013年度は直接支出で4億7千万円。それによる経済効果は約1・6倍の約7億2800万円と推計されている。
 JAや商工会、観光協会など多くの団体を取り込み、地域振興、情報共有と発信による観光振興をするため、複合施設として「地域振興センター」(仮称)の整備を計画する。村の地域振興の拠点にしたい。
 日本一の村をアピールするため、村のキャッチコピーやロゴマーク、イメージキャラクター「よみとん」も生まれた。今後は「よみとん祭り」も開きたい。ことし1月に日本一人口の多い村誕生へ向け、カウントダウンイベントや日本一の引き継ぎ式など多くの企画をした。今後もいろいろな日本一をつくり、探して集めて光り輝かせようと考えている。
 読谷村はこれまで村民との対話を大切にする「協働の村づくり」を進めてきた。今後も皆さんと共に創造、協働、感動し、年中夢求、知産地笑で「日本一の村づくり」に取り組みたい。