社会

元学徒3人、修羅場語る ピースウオーキング

ナゲーラ壕での戦争体験を語った瑞泉学徒隊の(左から)大川トヨさん、宮城幸子さん、仲西由紀子さん=15日、南風原町新川のナゲーラ壕前

 瑞泉学徒隊、梯梧(でいご)学徒隊の足跡をたどった15日のピースウオーキングで、学徒が補助看護要員として動員された南風原町新川の第62師団野戦病院ナゲーラ壕前では、3人の体験者が修羅場だった沖縄戦当時の状況を語った。

切断した手足を処分したり、負傷兵の便や尿の世話をしたりするなどつらい看護や、艦砲射撃による級友の死など体験者が語る話に参加者は熱心に耳を傾けた。
 県立首里高等女学校(瑞泉)と私立昭和高等女学校(梯梧)で動員された4年生88人のうち、生き残ったのは37人だけ。1945年3月15日のナゲーラ壕配置後間もなく、浦添の仲間分室に移動した大川トヨさん(88)は「すぐに嘉数高地で大けがを負った日本兵がたくさん来た。背中の下からやられた人、顔の左半分なくなった人、みんな亡くなった。友達も砲弾で手の平ぐらいの傷を受け、亡くなった」と死が日常だった69年前を振り返った。
 両親を渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)で、兄を沖縄戦で亡くした宮城幸子さん(86)は、「軍隊は住民を守らない。沖縄に基地を造らせたら戦争の始まり、世界の国が仲良くして戦争がなくなるよう願う」と力を込めた。仲西由紀子さん(87)は「あの時は死ぬのは当たり前、でも自分は生き残ってしまったと毎日考える」とかみしめた。
 アメリカのルイジアナ州バトンルージュに住む塩満(しおみつ)佐矢香さん(40)、中2の咲香(さくら)さん(13)、小5の隼人君(11)親子は、佐矢香さんの母・鍬形(くわがた)光枝さん(65)=那覇市出身=と共に参加。隼人君は「アメリカの小学校で習うのは国内の戦争で世界大戦はあまり知らない。壕に隠れたりしてつらそうで戦争は嫌だ」。佐矢香さんは「今の日本は戦前みたいで危うい」と懸念した。
 ナゲーラ壕、そして南部に移動した学徒らがいた糸満市の第62師団米須壕の保全管理が困難である課題も共有した。同企画の第18回は10月5日、那覇市内をたどり10・10空襲を考える。問い合わせは実行委(電話)080(1768)4823。
(石井恭子)