宮森小事故に衝撃 北部の高校生「基地と沖縄」学ぶ


社会
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雨の中、米軍ジェット機墜落の現場で菊の花をささげる参加者たち=14日、うるま市石川の宮森小学校

 【名護】「沖縄戦」と「米軍基地」をテーマに平和企画「高校生とともに考えるやんばるの沖縄戦」が14日行われた。

ことしで20回目を迎えた同企画は名護市教育委員会文化課市史編さん係が主催して毎年実施しているもの。今回は「普天間飛行場」と「1959年に起きた宮森小学校のジェット機墜落事故」「普天間飛行場の辺野古移設」について現地で考えた。
 参加したのは名護高、名護商工高、北部農林高、辺土名高、本部高、北山高、宜野座高、沖縄高専の8校の生徒と一般を含め82人。コースは宜野湾市嘉数高台、宮森小学校、辺野古の3カ所。
 宜野湾市の嘉数高台では元市長の伊波洋一さんが、米軍基地建設の経緯と現状などについて細かく説明。豪雨の合間に時折姿が確認できた普天間基地に、高校生から「住宅地のすぐそばまで滑走路が延びている」とびっくりした声が上がった。
 うるま市石川の宮森小学校では当時5年生だった久高政治さんが、拡大した現場写真、パネルを前に当時の模様を話した。荻堂秀子さん(名護商工高)は「事故を聞いて本当に驚いた。なぜ戦争が終わっても今なお沖縄の人たちが米軍人におびえないといけないのか」と感想を記した。
 ほとんどの高校生たちは「宮森小学校の墜落事故はとても衝撃を受けた」と話した。また墜落現場に全員で菊の花をささげ慰霊した。
 辺野古では名護市企画部参事の仲宗根勤さんが普天間飛行場の辺野古移設についての歴史背景など説明した。
 感想文の中で小橋川響さん(北農高)は「宮森小の事故は印象に残った。(普天間飛行場の)辺野古への移設計画があり、こういった事件は身近に迫っているんだと知った」と記し、大城優妃さん(北山高)は「事件、事故が起こってから解決させようとするのは遅いのです」と記した。
(幸地光男通信員)
英文へ→High school students in Yambaru learn about military base issues