強制集団死20年ぶり児童に語る 元伊良波小校長・宮城さん


社会
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 【豊見城】座間味村出身で元小学校校長の宮城恒彦さん(80)=豊見城市渡嘉敷=が17日、豊見城市立伊良波小学校で5、6年生195人を前に自らの戦争体験を語った。

宮城さんは沖縄戦当時、座間味島で起きた「集団自決」(強制集団死)の生存者。子どもたちの前で体験を語るのは約20年ぶりで、特別な思いで児童の前に立った。
 宮城さんは1989年から92年まで、同校の2代目校長を務めた。こうした縁で約20年前に講話の依頼を受けた。宮城さんは児童の前で戦争体験を語り始めたが、自身の壮絶な体験を思い出すにつれて、途中で言葉に詰まり、話すことができなくなった。
 宮城さんは「集団自決の場面のことをいざ話そうとすると胸が詰まってしまってね。目の前にいる児童たちの姿が、戦争当時の自分の姿とそのまま重なってしまった」と当時を振り返る。このため、その後は子どもたちの前での体験を語る講話の依頼は断り続けてきたという。
 45年3月26日朝、宮城さんの家族を含め、20人ほどが座間味村の防空壕に避難していた。気も狂わんばかりに壕に逃げ込んできた一人の女性が米軍の上陸を伝えた。この言葉を引き金に「集団自決」が起きた。「天皇陛下万歳」の合図で、女性教諭が手に持っていた手りゅう弾1個のピンを抜いた。それが、別の教諭と姉のハルさんの間で爆発し、2人は瀕死(ひんし)の状態となった。多くの人が死にきれず、持っていたカミソリで親子、夫婦が自分の家族の首を切りつけるという惨事が起きた。家族に手をかける壮絶な光景が宮城さんの脳裏に焼き付いている。
 講話では、母親のウタさんが姉をそのままにして壕を出たことを生涯悔やんでいたことなどを語った。「人間はこんなに残酷になれるのか」「純真な沖縄の人は鬼畜米英を刷り込まれていた」と声を振り絞るように伝えた。
 宮城さんは最後に、趣味のウクレレを弾きながら「芭蕉布」「野に咲く花のように」などを歌い上げ、平和への願いを込めた。
(大城三太)

元小学校校長の宮城恒彦さん
元伊良波小校長の宮城さんから戦争体験を聞く児童たち=17日、豊見城市立伊良波小学校