伊江島戦、児童らに悲惨さ語る 墓で「毒ガス」恐怖も


社会
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 【伊江】慰霊の日を前に、伊江村立伊江幼稚園・小学校(山城祐市園長・校長)は17日、同校体育館で平和について考え、伊江島戦証言者から学ぶ「平和教育講演会」を開いた。同村在住の内間亀吉さん(76)が招かれた。「戦争は二度と起こしてはいけない」と何度も児童らに強調し、戦争の悲惨さや苦しみなど自身が見たことや聞いたことなどを語った。

 「伊江島戦は1944年10月10日の『10・10空襲』から始まった」と語り始めた内間さんは、当時同校の小学1年生だった。
 翌年の45年4月16日、自宅敷地内の狭い壕の中で音楽を聴いた。米軍の上陸を悟った。親族25人は壕から「墓」へ移動することを決めた。通常であれば、徒歩20分の距離。夜間の照明弾が飛び交う中、身を伏せながら進み2、3時間かけてようやくたどり着いた。身を隠していた21日夕方、辺りは静かだった。負けたことを知った。
 22日の早朝、「デテコイ、デテコイ」と、米兵の片言の日本語。1、2時間後、墓の中に1発の「毒ガス」が投げ込まれ、白い煙が立ち込めた。我慢して出遅れた11人が亡くなり、早く出た14人が生き残った。
 内間さんは、命は取り留めたものの、「毒ガス」を吸い込み、息苦しい状態が続いた。約6カ月間は声が出なかった。今でも声はかすれており、「戦争とは誰彼構わず無差別に攻撃するもの。二度と起こしてはいけない」と訴えた。
 祖父から戦争の話をよく聞いているという具志川慈琉さん(6年)は「関係のない子どもやお年寄りを巻き込んで命を奪った戦争はあってはならないと思う」と感想を述べた。
(中川廣江通信員)

内間亀吉さんの講話に耳を傾ける児童ら=17日、伊江小学校体育館
内間亀吉さん