「兄貴 ヤーカイ」 元隊員、琉歌で鎮魂 少年護郷隊之碑


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高齢の関係者ら約20人が慰霊祭を行った少年護郷隊之碑=23日、名護市大西

 沖縄本島北部から防衛召集された少年が山中での戦闘に参加した第一護郷隊の死者を祭る、名護市の「少年護郷隊之碑」で23日、高齢化が進む元隊員や遺族ら約20人が集まって慰霊祭を行った。

碑のそばにある石碑には約90人の名が刻まれる。遺族らは「故郷を自らの手で護(まも)る」という戦意高揚の下、故郷を間近にした山河で落とした若い命を惜しんだ。遺族の一人は「ヤッチーヤーカイ」(兄さん、家に帰ろう」と題した自作の琉歌をしみじみと歌い上げた。
 碑が建つ小高い丘の真下には、少年らが1944年10月に第1次召集された当時の名護国民学校で、現在の名護小学校校庭が見える。元隊員だった上間義文さん(85)=名護市=は義理の兄宮城勝源さんや戦友が眠る碑に、慰霊祭が始まる約1時間前に到着した。「戦友が亡くなったことが残念で、慰霊の日はいつも真っ先に来る。もう69年もたったということはない」
 16歳だった兄の仲間朝次郎さんの名が刻まれている石原末子さん(71)=金武町=は、糸満市の平和の礎から駆け付けた。「母は同じ隊の人が帰って元気でいるのを見るたびに、すごく悔やんでいた。沖縄はまだ米軍基地もあるし、本当の平和じゃない」。兄にはいつも「平和で過ごせるよう守ってね」と祈る。
 慰霊祭に40年参加する久高栄一さん(67)=金武町=はこの日、琉歌をささげた。本部町真部山で、15歳で逝った兄良夫さんの遺骨は戻らない。「護郷ぬ戦/勤みん済まちゃしが/兄貴ぬ軍服/何時までぃ着しらりが」。軍服を脱がせてあげたいと琉歌に込めた。
 慰霊祭は15分ほどで終わった。元隊員の玉里勝三さん(87)=名護市=は「私たちも年を取りまして(関係者も)わずかしか残ってませんので、また来年会えることを祈ります」と会を閉じた。
(石井恭子)