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<メディア時評・デジタル時代の多様性>アクセス平等性確保を 書籍の再販制度に意味


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ほとんど知られていないが、日本には「定価」という表記が許されている商品が4つだけ存在する。新聞、雑誌、書籍、音楽用レコード・CDで、そのほかの商品・サービスには、値段はあっても、定まった販売価格は存在しない。例えば、本のカバーにはしっかりと金額が印刷されていて、その意味するところは出版社が販売価格を決め、書店は変更できないということだ。

その結果、沖縄本島でも離島でも一年中、24時間まったく同じ値段で販売されている、という事実に気づいてもらえると思う。これを再販維持契約(略して再販)と呼び、自由競争が徹底している経済取引の中で、極めて珍しい特別な取り扱いとして、独占禁止法のなかで定められている。
 もちろん、まったく例外がないわけではなく、新聞社の中には学生や学校向けに割引価格を設定したり、書籍の場合には刊行から時間が経(た)った本を安売りする場合もあるし、最初から自由定価本として販売しているものも存在する。これは「弾力運用」と呼ばれ、ここ15年くらい一般化してきた光景だ。あるいは、大学構内にある購買会(大学生協など)では、1割引きで売ってよいことが、法で明記されてもいる。
 そうした状況の中で、オンライン書店の最大手アマゾンが「Amazon Student(アマゾン・ステューデント)」と称する、学生向けの会員制プログラム・サービスを開始した。はじめの6カ月は無料、その後は年会費1900円が必要だが、書籍の価格の10%分を次回購入時に使用できるポイントとして還元するもので、実質1割引きで購入できる制度だ。対象は、国内にある大学、大学院、短期大学、専門学校、高等専門学校の学生とされている。
 学生対象であるから、購買会と同じであるとか、リアル書店でも、蔦谷(つたや)書店(TSUTAYA)のTポイントに始まり、他の書店でもポイントカードやクレジットカードとの連動で、1~3%程度のポイントが付くことが一般的ななか、何が問題なのかとの声もあるようだ。また、そもそも再販自体の弾力運用が決まっているのだから、一律に割り引く制度は許容されるべきだし、消費者メリットが大きく、反対は「ためにする議論」だとの厳しい声も聞こえてくる。しかし「なしくずし」で再販の実質を骨抜きするのではなく、その趣旨に鑑みて諾否を見ていく必要があるだろう。

民主主義のコスト

 書籍の定価販売が定められているのには大きく2つの意味があるといえる。
 第1は、読者のアクセス平等性である。通常は、生産者から販売地が遠くなるほど、配達コストから販売価格が高くなる場合が少なくない。あるいは、大量に売れる人口密集地のほうが価格が下がる傾向もある。それからすると、本や雑誌も市街地のほうが安く売れる可能性が高まるが、それでは国内で満遍なく知識や情報が行き渡ることが阻害されかねない。その前提としては、日本においては新聞があまねく普及していることや、書店が相当程度全国にくまなく存在し、再販対象の商品がまさに「マスメディア」として実質的に存在していることが重要だ。こうしたマスメディアを通じて、自己の人格形成に資する豊かで多彩な情報を接することができることは、社会にとって大変重要であるといえるだろう。
 また、選挙等を通じ政治的・社会的選択をする上でも、十分な情報が容易に入手できる環境は確保される必要がある。すなわち、民主主義社会のための必要条件として、みんなが等しく情報に接することができることが大切になる。したがって、もし「高め」の本を買わされる人がいたとしても、それは民主主義のコストとして市民全員で負担していこうという考え方でもある。
 第2には、多様性の確保がある。小売店の競争は一般に、価格競争が中心である。そうなると当然であるが弱肉強食の世界が生まれるわけで、一般に小規模の売り手は淘汰(とうた)される傾向にある。それは大規模スーパーに押される地方商店街の状況を見ても明らかだ。これは書店の世界にも当然通じる話で、価格競争が起きれば一気に書店の数は減ってくことが想定される。しかも、リアル書店同士の闘いというよりは、ネットVSリアルの争いとなり、その結果、店舗コストが圧倒的に小さいオンライン書店に分があることははっきりしている。その結果、3つのことがいえるだろう。

棚の貧困

 まず、リアル書店は一気にその数を減らしかねない。それは、私たちが実際に本を手にして購入するという「愉(たの)しみ」を奪うことになる。しかもそれは単なる感傷的なものではなく、本を能動的にのみ購入するという傾向を強めさせ、まさに今のネット社会の自分と近い考えの心地よい情報にのみアクセスする傾向を、雑誌や書籍にも一気に拡大させることになる。それは多様な言論の世界を狭めるということに他ならない。
 次に、現在の委託販売制度にも大きな影響を及ぼすであろう。現在の日本では、書店は取次を通じて本を取り寄せ、陳列し、売れ残った本は返本できる制度を採用している。その結果、小規模の本屋でも、売れ筋以外のさまざまな本を書店に並べることができるのである。こうした、価格競争ではなく品ぞろえで勝負するという、独特の競争方法が書店の棚の多様性を生んでいたわけであり、価格の自由化は買取制を促進させ、その結果、委託販売制度の崩壊は売れ筋中心の品ぞろえを招き、棚の貧困を呼ぶことになるだろう。
 そして最後に、自由競争の結果、書店の数が少なくなり、現実的にはアマゾンに象徴される大手オンライン書店の独り勝ちを認めることで、流通の単線化を生むことになる問題である。それは、書籍マーケットを寡占した書店が扱わない本は、市場には流通しないということを意味する。もちろん、書店がある程度、取り扱い本を選別することは許される。それはまた、書店の特徴につながる場合も少なくない。しかし、オンライン書店は世界を相手に商売しているだけに、さまざまな国の違った事情による販売制限が幾重にも重なり、必要以上の厳しい制約を課す場合も少なくない。実際、日本国内で販売中の本が、アマゾンでは取り扱われていない事例が既に報告されている。すなわち、アマゾン基準(一般にはアメリカ基準)で、日本国内の本の流通・販売がなされる可能性があるということであって、これは出版文化の多様性を大きく損なうことになる。
 出版にかかわる事業者は、出版の自由の担い手であるという認識のもと、多様性の維持やアクセス平等性の確保を行動基準にもつことが求められている。
(山田健太、専修大学教授・言論法)