【川崎ウイーク】フォーラム「県人会の課題と未来」 文化力生かし発展へ


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 【神奈川】新報移動編集局「川崎ウイーク」(主催・川崎沖縄県人会、琉球新報社)のフォーラム「県人会の課題と未来―ウチナーンチュ・ネットワークの強化に向けて」が19日、約150人が参加して川崎市のソリッドスクエアホールで開かれた。

上原良幸沖縄観光コンベンションビューロー会長が「県人会に期待すること」と題し基調講演した。パネルディスカッションは川崎、東京、鶴見3県人会長と上原氏、勝方=稲福恵子早稲田大教授が討論し、3県人会による合同企画の開催などが提起された。また県人に故郷の芸能を楽しんでもらおうと琉球舞踊公演があり、人間国宝の宮城能鳳氏、重要無形文化財「琉球舞踊」保持者の玉城節子氏ら17人が芸の神髄を披露した。川崎沖縄芸能研究会が地謡を務めた。県出身唯一の落語家、立川笑二さん、うちなー噺家(はなしか)の立川志ぃさーさんによる沖縄お笑い寄席は沖縄をネタに笑いあり涙ありの楽しさだった。フォーラムの様子を紹介する。(文中敬称略)

<県人会の成り立ち、特徴>
 潮平芳和(コーディネーター) 県人会の成り立ちや特徴を聞かせてほしい。
 比嘉孝 1924年に創立した。大正初期から県人が来ているので、事実上100年はたっている。県人会はユイマール精神で設立された。各家庭での祝い事や町内会のまつりで三線や舞踊をやってきた。そのような経緯で52年に川崎市から無形文化財、その2年後に神奈川県からも指定された。川崎芸能研究会の31団体、380人をはじめ計600人ほど琉球古典芸能に携わっている。老人ホームでも琉球舞踊を見せている。もっと沖縄文化を発展させていきたい。
 渡久山長輝 東京沖縄県人会は川崎より30年遅れて、56年に設立した。当時、沖縄はプライス勧告(軍用地代の一括支払い)が出て、一括払い反対など土地4原則貫徹の運動が盛んだった。県人会の活動方針は4原則貫徹から始まった。戦前の県人会は親睦団体だったが、新しい東京県人会は運動団体であった。
 金城京一 大正から昭和にかけて、埋め立て工事で沖縄から労働者が来て、シマンチュ会を結成し、それが県人会の始まりだ。正式に今の名称となったのは78年だ。仕事で成功した人が県人会館を残してくれた。特徴は戦前から開催している沖縄相撲大会がある。日本全国でも鶴見だけではないかと思う。
 潮平 報告を聞いての感想を聞かせてほしい。
 上原良幸 故郷を離れれば離れるほど、郷愁に駆られる。南米でも唄、踊りをやっているし、方言もまだ残っている。遠い親戚より近くの他人と言ってきたが、他人との交流がなくなってきている。絆をどう再生していくのか。家庭や地域とのつながりをもう一度つくっていく。新しいコミュニティーは文化だと思う。これからの県人会の取り組みに注目している。
 勝方=稲福恵子 三つの時代に分けてみたい。90、100年前は労働者として、東京や鶴見に住み、やまとになる時代だった。一生懸命にやまと化するために、生活改善運動、言葉の改善も熱心に行われた。復帰まで続いた。ウチナーンチュを取り戻すのが第2期で、いまだに続いている。ウチナーンチュとしての歴史と誇りを教科書から教えてもらった。運動会でもエイサーが踊られている。96年のアトランタオリンピックで、ニューヨーク県人会の2世がエイサーをやった。第3期は大変面白い時代。後で話したい。

<県人会の課題と取り組み>
 潮平 県人会が直面する課題は何か。
 渡久山 県人会がウチナーンチュの誇りやアイデンティティーをつくれる組織になることが必要だと感じる。沖縄の歴史や芸能、文化を学ぶ文化事業を始めた。それを通して連帯感やアイデンティティーをつくることが今後の課題だ。
 東京の中でも江東区や板橋区、練馬区の県人会は地域との結び付きが強い。地域とのつながりを考えなければならない。琉球芸能を中心に活躍している人たちと県人会が総合的につながることも大事だ。
 金城 会員の高齢化で県人会の3階ホールにエレベーターを設置したい。若者を引き付けようと、三線教室やソフトボール大会などをやっているが、若者がなかなか関わってくれないのが課題だ。
 比嘉 理事が平均年齢70歳を超えており、高齢化している。若い人を集めるのが最大の課題だ。先日、老人ホームから沖縄民謡の依頼があったが対応できなかった。若い人が手伝ってくれれば、地域とのつながりができる。
 沖縄が大好きならば本土出身者も県人会の会員になってもいい。最近は沖縄の曲調や三線を取り入れた若いアーティストがいて、創作舞踊も人気がある。そういう人の支援をしたい。
 潮平 課題についてどう考えるか。また県外出身者を県人会に入れることをどう考えるか。
 上原 昔は沖縄の血筋を隠したがる時代があった。でも今は沖縄に親戚がいることがうらやましがられるそうだ。僕はパネリストの中で唯一沖縄に暮らしている。県人会をどうこう言う前に、沖縄に住むわれわれが、生まれて良かったと思える沖縄をつくることだ。それが県人会の活性化につながると思う。
 勝方 1980年代後半から90年代、沖縄を自ら取り戻そうとした時代は、日本社会が日本は単一民族ではないと気付いた時代だ。日本社会の多文化性に気付いたヤマトンチュ(本土出身者)が自分にないエイサーや沖縄ポップスにひかれた。だから私はヤマトンチュが県人会に入るのは大いに結構だと思う。
 ただ矛盾が生じるのは県人会は沖縄らしさ、沖縄性が核になってできたのに、県人会活動によってそれが薄まっていく。それをある研究者は「自失へ向かう」運動体と結論付けている。もしかしたら違う現象が第3期に出てくるのではないかと私は考える。

<まとめ>
 潮平 最後に聞きたい。県人会が沖縄と密接な関係を築くにはどうすればよいか。
 上原 7月に新宿エイサーまつりがある。沖縄の芸能文化のイベントが100万人を動員しているのは一つの成果だ。沖縄には誇りある歴史文化がある。未来につなぐキーワードは「交流と共生」だ。県人会はその最前線にいる。これからも歴史文化をつなぐことに誇りを持ちながら「沖縄ここにあり」という活動を頑張ってほしい。
 勝方 第3期はやまとを沖縄化することに尽きる。この課題のために沖縄学がある。文化の力で外交をしてきた沖縄の知恵を発揮する。今の閉塞(へいそく)状況、戦前を彷彿(ほうふつ)とさせる恐ろしい時代に対して沖縄をキーワードに平和を訴える。政治も芸能もさらに大きく文化力として広げることを考えたい。
 金城 鶴見は今まで自分たちの殻に閉じこもってきたので、表に発信することがなかった。このフォーラムをきっかけに鶴見、川崎、東京の3県人会が連携してイベントができればいい。琉球新報とも何か一緒にできればいいと思っている。
 渡久山 全国の県人会のネットワークをつくり上げることが大事だ。沖縄の伝統芸能の普遍性を生かし、本土側と双方一緒に発展させたい。沖縄は独立国であったし、本土側から政治的差別を受けてきた。19日の神奈川新聞1面は厚木基地に来たオスプレイ。沖縄と変な方向で共通になってしまったが、ウチナーンチュであることはより鋭く政治を捉えられると思う。基本的人権や民主主義の根本を考えたい。
 比嘉 琉球新報が県人会を支援してくれたことに感謝している。沖縄から来た若者のメンタル面や就職などもサポートして、県人会を盛り上げ、地域に貢献したい。川崎沖縄芸能研究会と一緒に川崎で沖縄文化を広めたい。
 潮平 今日の県人会、沖縄の発展は誰のおかげか、歴史に思いをはせながら、今後に生かすべきだとあらためて思った。いろいろな話があったが、文化力がキーワードになると思う。政治を含めて沖縄の誇る文化力を生かし、やまとを沖縄化するとの意気込みで県人会活動、県政発展にまい進する。そして日本を明るくする。一石三鳥になればいいと思う。温かさややさしさ、人の痛みをわがこととする、良き沖縄の精神を広めたい。

<フロアから>
 潮平 話を聞いて、どういうことをしたら県人会が盛り上がるのかなどの意見を聞かせてほしい。
 重田辰弥さん 埼玉県に住んでいる。鶴見の金城さんの話があったように、県人は埋め立てで来ている。造船と製鉄という特定の産業と県人が結び付いている。もう一つの印象は、沖縄本島の人口は倍以上なのに、県人会の事務局は宮古と八重山の方が多い。先島の人は県人会でウチナーンチュのアイデンティティーを確立したのではないか。北海道沖縄県人会というのがあった。だんだんと県出身が少なくなって、北海道出身が多くなった今は北海道クラブと名称を変更した。県外の人がエイサーをやっている。こういうのが県人会の一つの動向と思う。
 勝方 宮古、八重山の方がこちらに来て、ウチナーンチュのアイデンティティーを確立したというのは大変面白い現象だ。アイデンティティーはいかようにも変容する。二重、三重のアイデンティティーを持つということは大変、面白い。
 座覇光子さん 生まれは鶴見、川崎で育った。いろんな時代があって、いろんな生き方があるのが県人会だ。誰が川崎沖縄県人会の基礎をつくったのか。沖縄から来た富士瓦斯紡績の女工たちだった。女工がストを起こし、労働者の権利を獲得した。私たちの行く道を開いた。さらに川崎県人会の有志で復帰運動に力を注いだ。毎週、署名活動して日本に帰りたいと運動してきた。生きていく基礎を築くことが県人会のやるべきことではないか。沖縄の文化、命を守るのは、本土にいる沖縄の人たちだ。いつも心は沖縄にある。現地の沖縄の人が人間らしく生きられないなら、沖縄だけでなく、こちらにいる県人と一緒に、まずは集団的自衛権の行使に反対する必要がある。県人会を一歩進んだものにするならば、閉じこもるのでなく、ヤマトの人と一緒に手を取り合って、まずは戦争は反対なんだと主張したい。そのために署名から始めることを提案したい。
 名嘉ヨシ子さん 川崎芸能研究会の会長をしている。芸能を通して訴えていく必要がある。研究会のほとんどがヤマトンチュで、もっと2、3、4世の若い人たちが芸能に携わってほしい。これからも川崎芸能研究会は県人会と両輪になって頑張りたい。
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<出席者>
【基調講演】
 上原良幸氏(沖縄観光コンベンションビューロー会長、前副知事)
【パネリスト】
 比嘉孝氏(川崎沖縄県人会長)
 渡久山長輝氏(東京沖縄県人会長)
 金城京一氏(横浜・鶴見沖縄県人会長)
 勝方=稲福恵子氏(早稲田大学教授)
 上原良幸氏
 コーディネーター・潮平芳和琉球新報編集局長

比嘉 孝氏
渡久山 長輝氏
金城 京一氏
勝方=稲福恵子氏
潮平芳和琉球新報編集局長