大江氏の決意メモ発見 65年初来沖、沖縄県内被爆者宛て


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大江健三郎さん

 「沖縄ノート」(岩波新書)などの著書があり、沖縄とゆかりの深いノーベル文学賞作家の大江健三郎さん(79)が1965年に初めて沖縄を訪ねた際、県在住被爆者と面談し、「沖縄の人たちが重荷を背負っていていられることをつねに考えていなければならぬ」と決意する手書きのメモを書き残していたことが、5日までに分かった。

 この“決意メモ”で大江さんは、自らのことを「私ども東京に住んで一応の安定と平和をえている人間」とした上で、県内被爆者の問題を「(沖縄の人たちが背負う)重荷の焦点」と指摘、「それについてあらためておたがいの注意を喚起しなければならない」とつづっている。

大江健三郎さんによる“決意メモ”。A4サイズのレポート用紙に書かれている(サインの年は64年だが、正しくは65年)

 65年3月4日、大江さんは那覇市で県内被爆者ら数人と面談。メモは、長崎での被爆体験を大江さんに語った真喜志津留子さん(90)=那覇市=が、その場で感想を書くように求めたもので、半世紀近く公表せずに大切に保管していた。沖縄に寄り添い、被爆について考察を続ける大江さんの「原体験」における心情の記録で、極めて貴重な資料と言える。

 大江さんは来沖直後に沖縄に関する初めてのエッセー「沖縄の戦後世代」を雑誌「世界」(65年6月号)に発表し、真喜志さんとのやりとりについて詳しく記述した。同月に刊行された「ヒロシマ・ノート」(岩波新書)のプロローグでも、この出会いに触れた上で、沖縄の被爆者の苦境を告発した。

 当時、米国の統治下で県内被爆者の援護はなされておらず、本土で57年に施行された原爆医療法も沖縄には適用されなかった。

 県内被爆者調査が始まったのは63年9月。64年8月に広島で開催された原水爆禁止世界大会で初めて沖縄の被爆者が問題を訴えた。

 今回、メモが見つかったことについて大江さんは3日、「まだ青年の自分が沖縄の皆さんの前でこれを書いた時の思いを忘れません。いま老年の私が沖縄の現状を思わぬということもありえません。なにもなしえなかったことを思い続けるでしょう」とのコメントを琉球新報に寄せた。
(安田衛)