10・10空襲 祖父が那覇市の様子を手紙につづる


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 浦添市に住む比嘉佐和子さん(42)はことし6月、那覇市牧志の実家から、10・10空襲で自宅を焼かれた祖父・安元實賀(じつが)さんが、鹿児島県に疎開していた祖母の基佐子さんらに宛てた手紙や罹災(りさい)証明書を見つけた。

手紙には空襲後の那覇市の様子や、家族を安心させようとする言葉がつづられている。比嘉さんは「70年の節目に見つかったのは『戦争を忘れないように』という祖父のメッセージかもしれない」と話した。
 比嘉さんが6月に実家の棚から見つけたかばんの中に保管されていた。基佐子さんと8人の子ども、實賀さんの母は1944年9月に鹿児島県へ疎開した。日本勧業銀行那覇支店に勤めていた實賀さんは帳簿を守るために1人那覇に残り、被災した。那覇署長名で44年11月2日に発行された罹災証明書には「家屋全焼」などと記されており、那覇市上之蔵町(当時)の自宅が全焼し、親類宅に身を寄せたことなどが読み取れる。
 同年10月23日の手紙には「若狭海岸通りの一部、牧志の一部を残して、那覇市は見事に灰燼(かいじん)に帰し、まだ燃えくすぶっているところもある」と空襲のすさまじさが記されている。「お父さんはとても運が強くて勇敢沈着だから案ぜずに」と家族を励ます言葉も並ぶ。11月17日の手紙には戦意や復興の意欲をつづった短歌や俳句が連なる一方、「雨宿る軒ひとつなき那覇の街」と焼き尽くされた街をしのぶ俳句が詠まれている。
 實賀さんはその後、地上戦に巻き込まれ、45年6月に糸満市の喜屋武岬で38歳の若さで亡くなった。2007年に100歳で亡くなった基佐子さんから、比嘉さんは戦時中の話を聞いていたが、手紙があることは知らなかったという。
 懸命に生き抜いた祖父を思い、当初は泣きながら手紙を読んだという比嘉さんは「将来、沖縄戦がなかったことにならないように、子孫として受け継いでいきたい」と決意を新たにした。

比嘉佐和子さんが実家から見つけた祖父・安元實賀さんの10・10空襲罹災証明書
比嘉佐和子さん