脳性まひの新垣舞さん 三線でプロ目指しバンド結成


社会
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「苦しいことがあっても前向きにやっていきたい」と話す新垣舞さん(中央)と「舞とくくる」のメンバー=9月11日、沖縄市内

 「時間がかかってもいいから、何事にも挑戦したい」。脳性まひの障がいがある新垣舞さん(19)=うるま市=は、数々の賞を受賞した三線でプロになることを決意し、ことし3月、沖縄民謡を中心に演奏するバンドを結成した。バンドには聴覚に障がいのある人も加わり、国内外の障がいがある人が参加する演奏会への出場を目標に、日々練習に励んでいる。

 新垣さんは、生まれた時に一時呼吸が止まってしまったことで、脳性まひになった。手足を自由に動かすことができないが、幼いころから沖縄民謡が好きだった新垣さんは、小学4年生の時に三線を習い始めた。
 当初は弦をちゃんと押さえることにも苦労したというが、「障がいがあっても、他の人には負けたくない」という気持ちで練習を積み重ね、13歳の時、初めて琉球民謡のコンクールで新人賞を受賞。以降も優秀賞などを受賞する腕前に。母・千賀子さん(53)は「三線をやめたいと一度も聞いたことがない。舞にとっての生きがい」と優しく見守る。
 特別支援学校を卒業後、パソコンの就労訓練をしたが、まひの影響で目が疲れやすく、訓練を断念した。しかし、自分には三線があると一念発起し、三線のプロになることを決意。音楽活動をしていた照屋寛仁さん(61)=沖縄市=らと共にバンド「舞とくくる」を結成した。現在は、福祉施設などで慰問演奏をしている。
 バンドには聴覚に障がいのある斎藤純子さん(56)=同=と比嘉真弓さん(49)=那覇市=も打楽器演奏で参加する。2人は「音楽を楽しみながら、舞さんをサポートしていきたい」と笑顔を見せる。
 バンドの目標は障がいのある国内外の音楽家が演奏力を競う「ゴールドコンサート」(東京)への出場だ。照屋さんは「舞さんが努力するのでメンバーもいい影響を受けている」と成長に期待する。
 「みなと手を取り合って 描く希望の道へと 扉の向こうは輝く未来 まっすぐ進んで行きたいな」。新垣さんは、自ら作詞作曲した「未来」の歌詞に、希望と決意を込めた。「障がいがあったからこそ、出会えた人もいるし、人の優しさに気付いた。将来は三線を通して、沖縄の文化を次の世代に伝えたい」と、将来を真っすぐ見据えている。(屋嘉部長将)