「世界のミヤザキ」が歓喜した出会いと友情


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アカデミー名誉賞の授賞式後、日本のメディアの取材に応じる宮崎駿監督=11月8日、米ロサンゼルス(共同)

アカデミー名誉賞授賞式

 「モーリン・オハラさんに自分が会えるなんて夢にも思わなかった。生きていると、なんだかとんでもないことが起こる」
 米国ロサンゼルスで11月8日夜(現地時間)に開かれたアカデミー名誉賞の授賞式終了後、日本のメディアの前に現れた宮崎駿監督は開口一番、往年の大女優に会えた喜びをピュアな笑みを浮かべながら語り出した。

 ジョン・フォード監督に重用されたアイルランド出身のオハラさんは御年94歳。この日は名誉賞の受賞者の一人として式典に出席していた。『わが谷は緑なりき』の彼女の大ファンだという73歳の巨匠は、授賞式の壇上でも「最大の幸運はオハラさんに会えたこと」と口にして会場を沸かせた。その後の囲み取材の中でも、会えた感激を繰り返し語ったわけだが、確かに大スターのオーラはそれほどまでに強烈で健在だった。
 もちろん記者も作品中の、若き日の彼女の姿しか記憶になく、近況も知らない。だが、授賞式前に会場近くの某所で、車いすに乗った赤毛のおばあちゃんとすれ違った瞬間、「!」と、振り返ってしまった。モーリン・オハラが通るとは思いもよらない場所だったが、瞬時に彼女だと分かったほどだ。
 ちょうど日本では、フォード監督の生誕120年を記念してデジタルリマスターされた『静かなる男』が順次公開中。宮崎監督が恋い焦がれる大女優の名演を、スクリーンで堪能してみてはいかが?
 さて、宮崎監督がこの類の式典に出席することはまれだ。自身最後の長編作品『風立ちぬ』がノミネートされていた今年3月のアカデミー賞の発表・授賞式も、「三鷹の森ジブリ美術館」の企画展示準備のために渡米を見送った。そこで、今回出席した理由を問われた宮崎監督は「ジョン・ラセターの脅迫です」。
 ジョン・ラセターとは、言わずと知れた『トイ・ストーリー』の監督で、ピクサーなどディズニー傘下の3つのアニメーションスタジオの責任者。『アナと雪の女王』でも製作総指揮を務めた。米アニメ界の重鎮である。そして、大の日本オタク、大の宮崎アニメオタクとしても知られている。そんなラセター氏が、何としてでも米国に来てほしいと、宮崎監督に熱烈なラブコールを送り、根負けしたということのようだ。
 10月の東京国際映画祭で来日したラセター氏は「ジョン・ラセターが語るクール・ジャパン」と銘打った講演に登壇し、宮崎監督との出会いから、友情を育んできた日々をお宝写真とともに披露しながら、ほとばしる“ミヤザキ愛”を語った。作品作りに行き詰まった時には宮崎アニメを見てインスピレーションを得るというほどだから、その愛の深さは言わずもがな。
 ちなみに、アカデミー賞で『風立ちぬ』の対抗馬だった『アナ雪』が長編アニメ賞を受賞した際には、宮崎監督は「僕の思ったとおり」と好敵手をたたえていた。(2人の友情の始まりにご興味がある方には、10年ほど前にスタジオジブリが製作したDVD「ラセターさん、ありがとう」がおすすめ)
 そもそも名誉賞は、アカデミー会員の投票で選ばれるおなじみの作品賞などとは異なり、会員の協力を得て理事会で選考される。選考過程の真相は分からないが、ラセター氏が敬愛する宮崎監督の名誉賞のために奔走したであろうことは想像に難くない。
 式典でプレゼンターとして登壇したラセター氏は、宮崎監督へ賛辞の言葉を贈り、ぎゅっとハグ。友人の栄誉を自分のことのように無邪気に喜ぶ姿は見て気持ちが良いものだ。
 宮崎監督はその厚い友情に感謝し「本当に感動的な、本当に忠実な友というのは、こういう人たちのこと。そういう人に出会えたことが幸いだと思う」と語った。
 少年の心を残したままの巨人2人の、固く結ばれた友情を目の当たりにした夜だった。
 なお、宮崎監督は「僕は(オハラさんの)手まで握ってきたんですから。こう、周りが気が付かないうちに…」と告白していたのだが、その決定的瞬間を押さえた写真や、式典での宮崎監督とラセター氏の動画などは、映画芸術科学アカデミーの公式サイト(www.oscars.org)で見ることができます。(須永智美・共同通信記者)
(共同通信)
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須永智美のプロフィル
 すなが・ともみ 大津支局、大阪社会部を経て、現在文化部で映画を担当。宮崎アニメのマイベストは『風の谷のナウシカ』。子ども時分に見た映画の影響力は大です。