米軍、慶良間上陸からきょう70年


社会
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 アジア・太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄で地上戦が始まってから26日で70年を迎えた。70年前、慶良間諸島は米軍の激しい砲撃にさらされ、死傷者が出たほか、座間味島、慶留間島、屋嘉比島では3月26日、渡嘉敷島では28日に日本軍の誘導・強制により住民が死に追い込まれる「集団自決」(強制集団死)が発生した。

 沖縄本島上陸を前に米軍は3月23日から慶良間諸島、沖縄本島を大規模空襲。24日からは艦砲射撃も加えた。26日には座間味村の各島、27日に渡嘉敷村の各島に上陸した。
 「軍民共生共死」の思想の下、座間味では135人、慶留間では数十人、屋嘉比では約10人、渡嘉敷では330人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。
 海上特攻基地だった慶良間は「慰安所」が置かれ、朝鮮人「慰安婦」もいたが、実態は不明な部分が多い。
 26日は午前10時から、座間味島の平和之塔で村主催の慰霊祭を執り行う。渡嘉敷島では「集団自決」(強制集団死)が起きた28日の午後1時半から白玉之塔で村主催の慰霊祭を行う。