普天間返還合意19年 過重負担今も 知事、新基地中止迫る


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返還合意から19年を迎える米軍普天間飛行場=11日午前、宜野湾市

 日米両政府が1996年、米軍普天間飛行場の返還に合意してから、12日で19年を迎えた。過重な基地負担の解消を求める県民が普天間の早期閉鎖を求める中、日本政府は辺野古移設が普天間問題の「唯一の解決策」と主張し、名護市辺野古の新基地建設を強行している。

一方、名護市では新基地建設に反対する稲嶺進市長が昨年1月の市長選で再選し、12月には辺野古移設阻止を公約に掲げた翁長雄志県知事が誕生した。名護市と足並みをそろえる県は仲井真弘多前知事による辺野古沖の埋め立て承認を法的に検証しつつ、5月に予定する翁長知事の訪米行動で米政府側にも計画見直しを直接迫るなど、移設阻止に向けた「あらゆる手法」を展開する方針だ。
 政府は2013年12月に仲井真氏から辺野古沖の埋め立て承認を得たとして、14年8月、市民の反対運動で中断に追い込まれた04年以来、10年ぶりに建設予定地でのボーリング調査を開始した。調査と設計業務を終えれば、夏にも埋め立て工事を始める計画。一方、市民の抵抗運動や選挙への影響を考慮した中断などで、調査は既に当初計画から半年以上遅れている。さらに県や名護市が反対している状況から、一連の移設作業はさらに滞る可能性もある。
 仲井真氏は13年末に辺野古の埋め立てを承認した際、新基地の建設は順調に進んだ場合でも9年半の期間が見込まれることから、建設作業の進捗(しんちょく)を問わず、普天間飛行場を5年以内に運用停止するよう日本政府に求めた。だが日米両政府は知事承認を根拠に新基地建設を進めると主張するものの「5年以内の運用停止」については一度も正式に協議してなく、危険性の除去は放置されている。
 1995年の米兵による少女乱暴事件を機に、過重な基地負担の軽減を求める県民世論が高まりを見せ、96年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の会談で普天間飛行場の全面返還に合意した。一方、日米両政府は県内に代替基地を建設することを返還の条件としたため、県民の根強い反発が続く。
 普天間飛行場を抱える宜野湾市では大多数の市民が普天間の早期閉鎖を求めている。翁長氏が仲井真氏に10万票の大差をつけて圧勝した昨年11月の県知事選では、宜野湾市でも翁長氏の得票数が仲井真氏を上回り、県内移設反対が多数を占める結果となった。12月の衆院選でも小選挙区全4区で辺野古移設反対を掲げた候補が当選しており、辺野古移設を拒否する県民世論が鮮明になっている。