沖縄戦の激戦地巡る 浦添、那覇でピースウオーク


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 浦添城跡公園から那覇市首里にかけて沖縄戦の激戦地を歩いて巡る「沖縄戦を知るピースウオーキング」(実行委員会主催)が26日開かれ、63人が参加した。

沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表と、15歳の時、沖縄師範学校1年生で鉄血勤皇隊に召集された古堅実吉さん(85)が講話した。
 参加者は浦添城跡公園の高台から市街地を見下ろし、首里城地下に陣地を構えた日本軍の第32軍が撤退するまでの足跡を追った。
 都市開発が進む浦添市前田で米軍の砲弾を受けた墓を示しながら話した具志堅さんは「法律では茶わんが出土したら文化財調査をするのに人間の遺骨が出ても何もしない。遺骨を遺族に返すのは国の最低限の戦争責任だ」と訴えた。
 龍潭近くにある第32軍壕の説明板の前で古堅さんは同級生や先輩が砲弾に倒れ、「あんまー(お母さん)」と叫びながら息絶えた記憶が忘れられないと言い、「軍事力に依存し沖縄が地獄の戦場となった。二度と戦争を繰り返してはならない。それが沖縄戦の最大の教訓だ」と結んだ。
 遺骨収集にも参加した藤井美保さん(24)=京都府=は「じっくり歩いて話を聞くことで激戦の状況が分かった。南部に住民が避難したのに、旧日本軍が南部撤退を決めたと聞き、これが『捨て石』かと実感した」と話した。
英文へ→“Peace Walk” tour around Battle of Okinawa sites in Urasoe, Naha

旧日本軍と米軍が激戦を繰り広げた「防衛ライン」と旧日本軍が撤退した足跡を高台から確認する参加者ら=26日、浦添城跡公園
具志堅 隆松さん
古堅 実吉さん