【渡嘉敷】沖縄戦末期に伊江島住民が、米軍から渡嘉敷村と座間味村に強制移動・収容させられた際にお世話になったとして、伊江村の収容体験者ら250人が2日、伊江村の「フェリーいえしま」をチャーターして渡嘉敷、慶留間の両島を7年ぶりに訪れた。
「戦後70年~渡嘉敷村・座間味村訪問感謝の集い」を開き、平和の尊さをかみしめた。
1945年5月、米軍は伊江島を占領後、戦場整理として伊江村民を渡嘉敷村などに強制移動し、46年7月まで民家などに収容した。渡嘉敷村に約1700人、座間味村慶留間島に約400人の計約2100人を強制収容した。記念碑が戦後50年の95年12月に建立された。
渡嘉敷区西のアマンザに建立された「伊江村民収容地跡記念碑」前で、松本好勝渡嘉敷村長ら同村民も多数参加してセレモニーが行われた。
初めに、日本軍にスパイ容疑などで虐殺された収容者に黙とうをささげ、島袋秀幸伊江村長、島袋義範伊江村議会議長、松本村長が献花した。
島袋村長は「渡嘉敷村民家収容の歴史を忘れず、感謝の気持ちを後世に伝えていくのが責務。平和を願い、渡嘉敷村民にお礼したい」、松本村長が「70年前の悲惨な歴史を風化させないよう、情報発信していきたい」とあいさつした。
伊江島民謡の奉納演奏後、松本村長に島袋村長から記念品が贈呈された。収容体験者の島袋満英さんが訪問者代表謝辞を述べた。
儀間利さん(85)と大城勝幸さん(82)は記念碑前にある空き屋の民家「ナカギラマ」=渡嘉敷村渡嘉敷157=を見学し「家主のいないこの家に7家族、20人が収容され、ソテツや配給米などを食べて暮らした。渡嘉敷村民には迷惑を掛け、頭の下がる思い」と当時をしのび、感謝の思いを語った。(米田英明通信員)