社会

被爆者語り部2世「いない」 県協議会の伊江さん、継承に不安

被爆体験継承について話す県原爆被爆者協議会の伊江和夫理事長=那覇市内

 広島市、長崎市への原爆投下から70年。県内の被爆者は1991年3月末に388人いたが、高齢化が進み亡くなった方も多く、ことし3月現在で177人まで減少した。米統治下に置かれた沖縄は被爆者援護が大幅に遅れ、本土の被爆者とは異なる状況もあった。

県原爆被爆者協議会(県被爆協)の伊江和夫理事長(86)は「原爆の実相、沖縄の被爆者の戦後をどう語り継ぐか、大きな課題だ」と語る。
 伊江理事長は三菱長崎工業青年学校3年生だった時に被爆。工場の門を出てしばらくして、橋を渡っている途中だった。閃光(せんこう)とともに爆風と粉じんが舞った。何も見えなかった。数日後、救助のために爆心地付近に入った。川には何十体という死体が浮いていた。仮設の治療所では痛みを訴えるうなり声が聞こえた。46年12月末沖縄へ。その半年後、経験したことのない下痢に見舞われた。徐々に回復したが、今でもあれが原爆によるものだったのか分からない。
 本土では57年に原爆医療法が施行され、被爆者の健康診断と医療費は国負担となったが、米国統治下の沖縄では適用されなかった。被爆者の実態調査も63年になってから。65年には医療費の国負担を求めて、日本政府を相手に沖縄違憲訴訟も提訴された。
 「被爆者が高齢化し、ここ数年は1年で10人ほどが亡くなっている。被爆協も5、6年持つかどうか。他県では2世による語り継ぎも始まっているが、沖縄ではない」と不安をにじませる。
 被爆70年、沖縄戦70年の節目の年に国会では安全保障関連法案が審議されている。「被爆者、沖縄戦体験者とも今も苦しんでいる人がいる。近隣諸国との首脳と頻繁に会って理解を深めることが平和につながるはず」と厳しい目を向けた。
(玉城江梨子)