【交差点】張学良の看板とともに


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 わが社は10年前、大連に張学良の看板を掲げて印刷工場をスタートした。現地従業員の技術指導をしながら営業に回った。顧客の印刷物に対する要求は高く、最初の半年は返品の山だった。知名度もなく売り上げもなかったわが社の唯一の誇りは、工場の壁面に大きく掲げた張学良直筆の看板であった。
 印刷技術のレベルアップを図り、兼務だが15人の検品係を配置した。当初はカラーの色見本の調合(ちょうあい)は勘を頼りに手作業でしていたが、今は彼らがコンピューターを使っている。印刷機の故障も電送することで即解決につながるようになった。
 進出当時、設備や技術は独走態勢だったが、現地印刷会社は日進月歩。同業の日本企業進出もある。裏技を使った仕事の奪い合いが始まった。主たる印刷物を他社に取られ、時間を持て余すときもあった。必死の努力で別の印刷物を受け、穴を埋めた。手作業の加わる紙袋やカレンダーを日本から受注し、人員調節でロスを回避してきた。
 弊社の特徴は現地従業員に一任しても、われわれは彼らより早く来て遅く帰ること。肝心な点は指摘しても、多くは目をつむり、摩擦を避けて責任の自覚を促す。相談を受ければすぐに答えを出す。日常的なハプニングも、心とは裏腹に笑って見ることができるようになった。
 大連の日本企業は現在、約560社。撤退を余儀なくされる工場や事務所も少なくない。各企業には外国進出ゆえの語り尽くせないドラマがある。わが社も浮き沈みを味わいながら、張学良の看板に見守られて10年目を迎えている。
 (池宮城克子 大連外国語学院講師・ウチナー民間大使)