【ドイツ】母の沖縄戦体験、独人の胸打つ/キシュカート外間久美子


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 母がこのほど9年ぶりにドイツにやって来た。それも米寿の誕生日に日本をたち、その日にドイツに着いたのである。沖縄のおばあは本当に頼もしい。“彼女”はクリスチャンではないが、ヨーロッパに在住する日本語を話すキリスト教信者(日本人だけではない)の集いで、沖縄戦の体験を語るために呼ばれたのである。
 この集いは、毎年ヨーロッパにある日本語教会が宗派を超えて、持ち回りで行われる大会で、今年は、8月4日から7日まで、ドイツのゲーゼケで、300人余りが集まり、「平和を生きる」というテーマで行われた。
 沖縄で二度コンサートを開いた尾畑秀治・真知子夫妻が、母の戦争体験を聞いて、ぜひ皆さんに聞いてもらいたいと提案し、出席が決まった。高齢でもあり、心配もあったが、皆の心配をよそに沖縄のおばあのパワーを振りまいて、元気にスケジュールをこなして帰国した。

 母は北部への避難の道中、飢餓と闘い、戦後すぐに出産、マラリアとの闘いの中、長女の飢餓死も経験したことなどを話した。そして「命どぅ宝」などの沖縄の教えを織り交ぜながら、「二度と戦争はしてはいけない。許してはいけない」と力強く訴え、聴講者の涙を誘った。司会の牧師も声を詰まらせ、母へ握手を求める人々の目は潤んでいた。
 はじめ、この話があった時、母も私もためらった。北部へ逃げた母は大変な激戦は全く経験していないという。激戦を体験された方に語ってもらうことも提案したのだが、母に決まった。それでも母の話は説得力があった。会場が悲しみと怒りの渦にあった。
 南部で起こった悲劇を何度も聞かされていただけに、沖縄から同伴してきた姉も私も、その反応に正直驚いた。彼らが、激戦地で起こった数々の悲劇の体験話を聞いたらどうなっただろうか。沖縄戦のことを知ってもらうワンステップとして、母の話は大きな意味があった。この経験は、沖縄戦を経験した誰もが持っているものと思う。
 私は、母の体験談をこれほどまでに詳しく聞いたことはなかった。母も、「自分の戦争体験は、女子師範学校の後輩たちに比べたら取るに足らない体験」だと口にする必要性を持たなかったらしい。しかし、泣きながら、沖縄のことを知らな過ぎたと母に言う若者たちを見たときに、私たちはもっと沖縄戦について県外で語らなければならないと思った。