【中国時報】語り継がれる「琉球寮」 戦中、県出身者が居住


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 戦前、竹東警察署の官舎だった、新竹県竹東鎮の大同社区活動センター(公民館)一帯には、米軍の爆撃を逃れ、疎開してきた沖縄県出身者2、30世帯が住んでいた。このため地元住民は、この一帯を親しみを込めて「琉球寮」と呼んでいた。
 地元の歴史研究家・黄栄洛氏によると、沖縄県出身者が疎開してきたのは、第2次世界大戦末期。集団で船に乗って台湾に渡り、市街を離れた同地に住み着いた。官舎はとても粗末なもので、肩を寄せ合うように暮らしていたという。
 当初は、台湾人と異なる目鼻立ちに和服姿の沖縄県出身者を奇異に思う住民もいたが、時がたつうちに地元にも溶け込み、台湾人に嫁いだ女性もいたと伝えられている。沖縄県出身者は戦後、次々と帰郷し、「琉球寮」の名称も過去のものとなったが、地元のお年寄りの間では、今でもいい思い出として語り継がれている。