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バスク系米兵士6人追悼 糸満・平和祈念公園


バスク系米兵士6人追悼 糸満・平和祈念公園 バスク系米軍人を追悼するペドロ・オイアルサバルさん(中央)。妻のガルビーニェ・ナヴェランさんと琉球大学名誉教授の金城宏幸さんらが同行した=5日、糸満市の県平和祈念公園
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 【糸満】フランスとスペインにまたがる地域にルーツがあり、独自の言語や文化を持つバスク人の移民の研究者で、自身もバスク人のペドロ・オイアルサバルさん=スペイン在住=が5日、糸満市の平和祈念公園を訪ね、平和の礎や資料館を見学した。オイアルサバルさんの研究で、沖縄戦にバスク系米国兵士約20人が派遣され、うち6人が死亡したことが判明している。オイアルサバルさんは「ウチナーンチュや日本人、米国人、そしてバスク人など、いかなる出自であれ第2次世界大戦で戦没した、すべての人々のことを忘れてはならない」と強調した。

スペインの研究者 「礎に刻銘申請したい」
 6人は19歳が3人、22歳が1人、25歳が2人。5人は戦闘中に、1人は戦闘後に海岸で亡くなった。平和の礎に6人の名前は刻銘されていなかった。オイアルサバルさんは「軍の記録をたどりたい。資料が見つかり、親族の希望があれば、刻銘を申請したい」と話した。
 妻のガルビーニェ・ナヴェランさん、琉球大学名誉教授で国際言語文化センター会長の金城宏幸さんが同行した。初めて沖縄を訪問したオイアルサバルさんは、県平和祈念資料館の前川早由利館長らの説明を受け、平和の礎で追悼式を開いた。献花し、6人の名前を読み上げ「バスク人の生涯と記憶をたどる作業において、まさに“いちゃりばちょうでー”の精神が私たちをここまで導いてくれた」と話した。
 オイアルサバルさんらはバスク人兵士の研究でバスク系米国兵士千人以上の情報を明らかにした。同行した金城さんは「バスク人は各地に移民として根付き、強いネットワークを維持している。沖縄県系人の移民と類似している」と語った。 (岩崎みどり)