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運玉森頂上に「平和学習広場」 与那原町 完成式で合唱 「町眺めながらうれしい」


運玉森頂上に「平和学習広場」 与那原町 完成式で合唱 「町眺めながらうれしい」 運玉森の頂上に整備された「平和学習広場」で合唱するうんたま森合唱団=3日、与那原町
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 【与那原】与那原町と西原町の境にある運玉森(標高158.1メートル)の頂上に展望台が整備され、与那原町による完成式が3月3日に行われた。沖縄戦当時、米軍により激しい艦砲射撃があり、使用された弾薬の価値から「100万ドルの山」と呼ばれた。与那原町は展望台を「平和学習広場」と名付け、沖縄戦を学び平和について考える場となることを期待する。
 平和学習広場は数メートル四方の小さなスペースながら、ベンチや沖縄戦に関するパネルが設置されている。与那原、西原の町境が記されているのも面白い。360度のパノラマビューで、与那原の街並みはもちろん、中城湾と勝連半島、中部の街並み、読谷村、東シナ海や慶良間諸島などを望むことができる。
 平和学習広場と、山頂に続く264段の階段を含む遊歩道を整備した。町は2024年度に駐車場を整備する計画だ。
 完成式では、町の子どもたちでつくる「うんたま森合唱団」が合唱。照屋勉町長、垣花英正教育長らが献花した。照屋町長は「景色を眺めて心穏やかになったり、何より平和を考える場所になってほしい。町民だけでなく、多くの人に来てもらいたい」と話した。合唱団メンバーの島袋琉音さん=豊見城南高2年=は「初めて登ったけど、景色が良くて驚いた。自分の街を眺めながら歌えてうれしかった」と笑顔を見せ、沖縄戦の激戦地だったことに触れて「今ある平和が決して当たり前なことではないと考えながら歌った」と話した。
 沖縄戦当時、運玉森は、首里の攻防に向けた日米両軍の争奪の場となった。戦後は不発弾による山火事が相次いだ。与那原町は、運玉森の米軍占領にちなみ5月21日を「与那原町民平和の日」と定め、平和を祈願する事業を行っている。 (岩崎みどり)