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津波よけ 豊穣祈る 宮古島の砂川でナーパイ


津波よけ 豊穣祈る 宮古島の砂川でナーパイ ナーパイ祭祀で船を漕ぐ歌を唱える男性ら(右側)と砂川小の男児=15日、城辺砂川の上比屋山
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【宮古島】宮古島市城辺地区の砂川や周辺に伝わる津波よけや豊作を祈る祭祀(さいし)「ナーパイ」が15日午前、同集落の祭場などで執り行われ、自治会役員の男性らが祈りをささげた。同日は地域の祭祀を学ぼうと地元の市立砂川小学校の5・6年生24人も参加した。

 「縄張り(縄を張る)」を意味するナーパイは古くから津波よけや豊作、さらには健康や安全、集落の安寧を祈願する祭祀とされる。1771年旧暦3月10日に石垣島沖で発生した地震による「明和の大津波」以降は津波よけの色合いが濃くなったようだが、近年は住民の高齢化などに伴って参加者も少なくなっているという。

 旧暦3月最初の酉(とり)にあたるこの日、集落近くのウイピャーヤマ(上比屋山)と呼ばれる小高い丘にあるウイピャームトゥの祭場(県指定有形民俗文化財)の一つ、マイウイピャームトゥで行われたナーパイでは、自治会役員らがかやぶき小屋内の祭壇に神酒などを供え線香をたいて祈りをささげた。女性の参加はほとんどなく、神歌も録音テープを流すなど簡略化された祭祀となった。

 参加した児童らは、上野新里に在住する郷土史研究家で陶芸家の佐渡山安公さんから説明を受けた後に参加した。ムトゥに向かって手を合わせ、女児は集落の女性らとともにダディフと呼ばれる竹(ダンチク)を手に出発し、砂川遠見番所跡などを通りながら数か所でダディフを地面に差して縄を張る模倣儀礼を行いながら、最終地の新里の海岸を目指した。

 男児と役員の男性らとともにムトゥ前の石垣を船に見立て、船漕ぎの歌を唱えながらリズムに合わせて木の枝を地面に突いた。

 関連して市教育委員会は17日から、市歴史文化資料館(旧砂川中学校)で4月企画展「自然災害と文化財」を実施している。6月2日まで。開館は水曜~日曜。同展では明和の大津波に由来する「乾隆(けんりゅう)三十六年大波」碑をはじめ、下地島や東平安名崎の津波石、津波にまつわる伝説が残る御嶽やナーパイ祭祀、被災した南海岸にある友利元島遺跡で発掘された堆積物などを紹介している。市教委生涯学習振興課文化財係は「過去の自然災害を通して防災の意識を高めてほしい」と来館を呼びかけている。