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「沖縄と関われ、幸せ」北谷町で育った県系3世の宮城・キンさん チリでサーモンの輸出に携わる<アジア・海外通信員>


「沖縄と関われ、幸せ」北谷町で育った県系3世の宮城・キンさん チリでサーモンの輸出に携わる<アジア・海外通信員> チリでサーモンの冷凍水産物の輸出業務に携わるオラバリア・宮城・キンさん
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 オラバリア・宮城(ミヤグシコ)・キンさん(34)は、チリ・サンティアゴ在住の県系3世。沖縄からアルゼンチンに戦後移民した沖縄市出身の宮城とこきちさん、やえこさん(旧姓比嘉)の孫にあたる。ブラジルで生まれ、学生時代は北谷町で育った。現在は日本の大手商社の在チリ子会社で、サーモンを中心に冷凍水産物の買い付けの仲介役業務に携わる。

 アルゼンチンに移民した祖父母がブラジルに移住後、母・エリサさんとチリ人で美容師の父・ジョージさんの下、サンパウロで生まれた。2歳の時に家族で群馬県に移住し、小学5年の時に沖縄に引っ越した。沖縄では北谷第二小学校、北谷中学校、北谷高校に通った。「当時の友人とは今でもオンラインゲームをし合う仲」と親交を続ける。

 貧しい生活から抜け出すために高校を中退して家族で千葉県に移り住んだ。キンさんは歌手を目指しながら警備員として働いた。2011年3月、東日本大震災が発生。「原発事故の影響で日本を出国できない可能性がある」と、在チリ大使館から父に電話があった。翌月にはチリに到着。南部プエルトモンで仕事を探し始めたがスペイン語が話せなかったキンさんにとって苦労の連続だった。その頃、父が脳内出血で亡くなった。「人生で一番深い悲しみを味わった」。

 日本市場の養殖サケ・マス類の、トップシェアを誇るのがチリ産だ。プエルトモンは世界有数のサーモンの産地。父が他界した数日後、家族を気にかけた近隣の住人がプエルトモンのサーモン加工場を紹介。キンさんは内臓処理や箱詰めの派遣社員として約半年間働いた。そのタイミングで日本の大手商社が在チリ養殖会社と加工場を買収。同社駐在員との出会いを機に、12年から正社員として在籍しサーモン養殖や加工を経験した。

 17年から日本への出荷と検品管理業務を経験し、21年からチリサーモン購買のマネジャーの業務を任せられた。昨年3月、首都サンティアゴに移住。本社で日本の養殖業者からの買い付けを行っている。キンさんは「地球の反対側で、育った国、沖縄と関わることができて幸せ」と話した。

(安里三奈美通信員)