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母、生きていてくれたら 西原町戦没者追悼式 遺族会に代わり町が主催 沖縄


母、生きていてくれたら 西原町戦没者追悼式 遺族会に代わり町が主催 沖縄 西原町戦没者追悼式で、沖縄戦で亡くなった人々を慰霊し平和を祈って手を合わせる参列者=22日、町翁長の西原の塔
この記事を書いた人 Avatar photo 藤村 謙吾

 【西原】西原町戦没者追悼式が22日、町翁長の西原の塔で開かれた。高齢化などを理由に23年をもって70年の歴史に幕を下ろした西原町遺族会に代わり、町が主催した。西原は沖縄戦の激戦地の一つで、当時の村民の約47%に当たる5100人余りが亡くなった。遺族や町職員ら約80人が参加し、祈った。

 黙とうの後、登壇した崎原盛秀町長は「悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、平和の尊さを肝に銘じ、戦争の不条理と残酷さを次世代に語り継ぎ、世界の恒久平和の構築に努めることが今を生きる私たちの使命だ」と話した。

 田羽田(たばた)良子さん(81)は追悼式の開始前、西原の塔と同じ敷地に設置された「西原町地元住民戦没者刻銘碑」に手を合わせた。沖縄戦で母の城間ツルさん(当時32歳)と、2人の兄・盛光さん(同11歳)と盛徳さん(同5歳)を亡くした。田羽田さんは沖縄戦当時まだ幼く、母の顔を覚えていない。「もし今も生きていてくれたらと思う」と目頭を押さえた。「私みたいに悲しい思いをする人が、もう出ないでほしい」と強く平和を祈った。

 追悼式のために、町赤十字奉仕団と幸地婦人会が、千羽鶴を奉納した。

(藤村謙吾)