【多良間】多良間小学校は6月21日、戦争体験者の講話を児童らが聞く「平和集会」を同校体育館で開いた。命の尊さを知り、平和を願い求める心を育てることが目的。同村仲筋の豊島トシさん(87)が多良間島の激しい空襲や、戦後も食糧難に苦しんだ経験について語った。
第2次世界大戦の戦火が多良間島に広がってきた頃、豊島さんは小学校1年生だった。各家庭には防空壕が造られ、空襲警報が鳴る度に防空壕に逃げ込み、勉強もままならない状況だった。日本軍機と思った機体が米軍の爆撃機で、機銃で攻撃されたこともあった。
激しい空襲で集落に住むことが難しくなり、畑や巨石の下での生活を余儀なくされ、食糧不足に悩まされた。
戦後も食糧難が解消することはなかった。イモがバイラス病という病気にかかり、一つも取れなくなったという。ソテツも食べたが、毒抜きが不十分で亡くなる住民もいた。
豊島さんは「貧しい生活の中でも村民の絆は強く、お互いに助け合い励まし合って戦争時代、ソテツ地獄時代を乗り越えた」と、他の人の立場を思いやることの大切さを伝えた。
6年生の知念優羽さんは「食料もない過酷な生活を想像すると怖くなった。戦後も病気で亡くなった人もいたらしいので、戦争は二度と起きてほしくない」と語った。 (清村めぐみ通信員)
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戦禍「助け合い乗り越えた」 豊島トシさん(87) 多良間小児童に講話
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琉球新報朝刊
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